懸隔の成就

業平伝
*:..。.o○゜゜*☆
 伊勢物語
*:..。.o○゜゜*☆訳・兪而今




むかし、男、初冠《ういこうぶり》して、奈良の京春日の里に、しるよしして、狩りに往にけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。この男かいまみてけり。思ほえず、ふる里にいとはしたなくてありければ、心地まどひにけり。男の、着たりける狩衣の裾を切りて、歌を書きてやる。その男、信夫摺の狩衣をなむ着たりける。
 春日野の若紫のすりごろも
 しのぶの乱れかぎりしられず
となむ追ひつきて言ひやりける。ついでおもしろきことともや思ひけむ。
 陸奥のしのぶもぢ摺り誰ゆゑに
  乱れそめにし我ならなくに
といふ歌の心ばへなり。昔人は、かくいちはやきみやびをなむしける。

【訳】 
昔、男が初冠《元服》して、奈良の都は春日の里に所領がある関係で、狩りに出かけた。
その里にとても優美で清らな姉妹が住んでいた。この男は垣根越しに覗き見てしまった。
意外にもその姉妹は現代風で、古き都には不似合いな風情だったので、ドキドキして気持ちが惑ってしまった。男は着ていた狩衣の裾を切って、歌を書いて贈る。このとき男が着ていた狩衣は、信夫摺りといって忍ぶ草の紋様を摺りつけた狩衣だった。

 春日野の若紫の摺衣 
  しのぶの乱れ限り知られず
(春日野の若紫で摺った摺り衣の信夫摺りの乱れ模様はこれ以上ないくらいです〔春日野の若いお二人を見て、私は忍んでも心の乱れがこれ以上ないくらいです〕)

と、即座に言い贈ったそうだ。丁度、信夫摺り模様の狩衣を着ていたことが、その場にかなった趣き深いことと思ったからだろう。じつはこの歌は、

  みちのくのしのぶ捩ぢ摺りたれゆゑに 
    乱れ染めにし我ならなくに
(私の心がこんなに乱れているのは、他の誰でもない、みんなあなたのせいですよ)

という、源融の歌の本歌取りである。
昔の人はこのようにすばやく風雅な事をしたものである。

【解】
 初々しい青年(業平)の初戀の情景が、青に佳し奈良の都を背景に、絵巻模様のように展開する。平安朝の華麗な戀物語の開演である。であるが同時にすでに、この戀が「忍ぶの戀」であることを、古代歌にたくしながら巧みに告知してもいる。一〇〇段と静かに呼応しているのである。
  
  ちなみに、男女をあらわす日本語表記の歴史について付言する。現代では、「おとこ」と「おんな」という一対の言葉しかないが、古代日本語には、複数の言い方があった。この段で出てくる「をとこ」と「をとめ」は、若い(半成熟な)男女のことを意味する。成熟した男女は、「おとこ」と「おとめ」という。「お」は大きいという意味、「を」は小さいという意味を持つ接頭辞である。なお、老成した男女は、「おきな」と「おみな」という。成熟前の少年少女は、「をぐな」と「をむな」という。「をむな」が転じて「をんな」となり、今日の「おんな」となったという。






むかし、男ありけり。奈良の京は離れ、この京は人の家まだ定まらざりける時に、西の京のに女ありけり。その女、世人にはまされりけり。その人、かたちよりは心なむまさりたりける。ひとりのみもあらざりけらし。それをかのまめ男、うち物語らひて、帰り来て、いかゞ思ひけむ、時はやよひのついたち、雨そほふるにやりける。
  起きもせず寝もせで夜を明かしては
  
    春のもととて眺め暮しつ


【訳】 
昔、男がいた。奈良の都はもうすでに都ではなくなり、かといって遷都したこの都(平安京)はまだ一般の人の家も落ち着いていなかった頃、西の京にとある女が住んでいた。
その女は、世間の人よりは優れていた。その人は、容貌よりも心が優れていたのだった。
夜尋ねてくる男があったから、一人身ではなかったらしい。
それを例の誠実な男が、しんみり語り合って〔=神聖楽器を奏し一夜を明かし〕帰ってきて、彼女の妙なる存在をよほど戀しく思ったのであろう。時は旧暦三月一日、春雨がしとしと降るときに、歌を贈った。

 おきもせず寝もせで夜を明かしては 
   春のものとてながめくらしつ
(昨夜あなたとお逢いしてからというもの、一晩中、起きるでもなし寝るでもなしに夜を明かして、今日は春につきものの長雨をぼんやり眺めながら暮らしております〔昨晩お会いしたのが夢のようです〕。寝ても覚めても瑠那のことばかりです)

【解】
 戀は秘密の花園、大宇宙への希求旅行。そんな戀の神髄へ目覚めていく青年の熱い日々がこの一段のなかに凝縮されている。
 



むかし、男ありけり。懸相じける女のもとに、ひじき藻といふものをやるとて、 
  思ひあらば葎の宿にねもしなむ 
    ひじきのものには袖をしつゝも
 二条の后の、まだ帝にも仕うまつりたまはで、たゞ人にておはしましける時のことなり。
 
【訳】 
昔、男がいた。思いをかけていた女の所に、ひじき藻というものを贈ると言って、

  思ひあらば葎《むぐら》の宿に寝もしなん 
    ひじきものには袖をしつつも
(もしあなたに、ぼくを想う熱いお気持ちがおありなれば、雑草の生えたあばら家でも一緒に夜をすごしましよう。ひじきならぬ、ちゃんとした引敷物《ひじきもの・夜具》がなくっても、敷物のかわりに着物を敷きながらでも)

ところで、この女といふのは二条の后のこと。彼女がまだ清和天皇の女御としてお仕へにならずに普通の人であられた時のことである。

【解】
海草は当時、海なき都では宝珠ほどの珍品。
そして運命の女性との出逢い。四、五、六段と続く。



むかし、ひんがしの五条に、大后の宮おはしましける、西の対に住む人ありけり。それをほいにはあらで、こころざし深かりける人、ゆきとぶらひけるを、正月の十日ばかりのほどに、ほかにかくれにけり。ありどころは聞けど、人のいき通ふべき所にもあらざりければ、なほうしと思ひつゝなむありける。またの年の睦月に梅の花ざかりに、去年を戀ひていきて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣て、あばらなる板敷に、月のかたぶくまでふせてりて、去年を思ひいでてよめる。
 月やあらぬ春や昔の春ならぬ
  わが身は一つもとの身にして
とよみて、夜のほのぼのと明くるに、泣く泣くかへりにけり。

【訳】 
昔、東の五条に皇太后宮がいらっしゃった。そのお屋敷の西の対に住む女の人がいた。
その人を、最初は本気ではなかったが、つき合いが深まり気持ちが深くなった男が居て、訪ねていったが、その女は正月(旧暦一月)十日位の頃によそへ隠れてしまった。その人のいる所は聞いたが、普通の身分の人が行き来できる所でもなかったので、男はよけいにつらいと思いながらいたのだった。
 次の年の正月に、梅の花の盛りのころ、去年を戀しく思って、西の対の彼女の家に行って、梅の樹を立って見たり、座って見たりして見るけれど、去年見た感じに似るはずもない。男は泪を流し、荒れ果てた家の板敷きに、月が西に傾き沈みかけるまで横になって、去年のことを思い出して詠んだ。
 
 月やあらぬ 春や昔の春ならぬ 
   我が身一つは元の身にして
(月は去年彼女と見た月と違う月なのか、春は彼女と過ごした昔の春ではもうないのか、戀しい人の姿の見へない今はまるで去年の眺めと感じが変ってしまった。なのにただぼくだけが元のまま。寂しい、哀しい) 
    
そして、夜がほのぼのと明けてきたので、泣く泣く帰途についた。

【解】
「本気ではなかった」というより、本気になってはならない相手だったということだろう。敵対勢力の娘。のちのち会うことがかなわない間柄となるのが目に見えていた。そして案の定、急に彼女は自宅から姿を消してしまう。居る場所が判っていても会いに行けない。もう、人の妻……嫁いだのである。
 駄目だ、駄目だ、まだ家族ではないから許されないよと思いながらも、激しく惹かれ逢瀬を重ねてしまった懐かしい場所を、梅薫る月夜にたずねてみると、彼女と過ごした頃と違わない風景がそこに広がっている。なのに、なのに…こんなにも見える風景は違う。その悲しみ。貴女がいなければそこはたんなるおもちゃ箱の遊園地、気怠い事務机の集積地帯。
 なお、西の対に住んでいた女とは、いうまでもなく、先の段の二条后《にじょうのきさき》高子《たかいこ》。『古今集』戀歌の、同じこの歌の詞書にはこうある。
「五条の后宮の宮の西に住みける人に、本意にはあらで、物言ひわたりけるを
睦月の十日余りになん、ほかへ隠れにけり。
あり所は聞きけれど、え物も言はで又の年の春、梅の花ざかりに月のおもしろかりける夜、去年を戀ひて、かの西の対に往きて月のかたぶくまで、あばらなる板敷に臥せりてよめる   在原業平朝臣」



むかし、男ありけり。ひんがしの五条わたりにいと忍びていきけり。みそかなる所なれば、門よりもえ入らで、わらべのふみあけたる築泥のくづれより、通ひけり。人しげくもあらねど、たび重なりければ、あるじ聞きつけて、その通ひ路に、夜毎に人をすゑて、まもらせければ、いけどもえ逢はでかへりけり。さてよめる。
  人知れぬわが通ひ路の関守は
   宵々ごとにうちも寝ななむ
とよめりければ、いといたう心やみけり。あるじゆえしてけり。二条の后に忍びてまゐりけるを、世の聞えありければ、せうとたちのまもらせ給ひけるとぞ。

【訳】 
昔、男《業平》がいた。京都の東の五条《高子の叔母の屋敷があった》あたりに、こっそり静かに女のところへ通って行った。
そこは密かに通う場所だったので、正門から入れない。そこで、子供らが踏み開けた築地(土塀)の崩れから通った。
 人がたくさんいるわけではないが、男が通う回数が重なったので、家の主人《高子の叔母》が聞きつけて、その通い路に毎夜、警備の人を置いて警護させた。そのため男は行くが、逢えなくて帰った。そこで男は、
 
  ひとしれぬわが通ひ路の関守は 
    宵々ごとにうちも寝ななん
(ひと知れずぼくが通う通り道の関所の番人さんたちよ、せめて毎晩ちょっとだけ居眠りでもしてほしい。君に逢えるから)

と詠んだので、女はひどく心を病んでしまった。そこで東五条の主人(高子の叔母)は二人のことを黙認してくれるようになった。
 だが、二条の后(高子《たかいこ》)にこっそり参上していたのを、世間の評判があったので、兄弟達が二人の邪魔をし、高子后をお護りになるようになったという。




むかし、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きにきけり。芥河といふ河を率ていきければ、草のうへにおきたりける露を、「かれは何ぞ」となむ男に問ひける。ゆくさきおほく、夜もふけにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、あばらなる蔵に、女をば奥におし入れて、男、弓、やなぐひを負ひて、戸口にをり。はや夜も明けなむと思ひつゝゐたりけるに、鬼一口に食ひてけり。 「あなや」といひけれど、神鳴る騒ぎにえ聞かざりけり。やうやう夜も明けゆくに、見れば、率て来し女もなし。足ずりをして泣けどもかひなし。
  白玉かなにぞと人の問ひし時
   露とこたへて消えなましものを
これは、二条の后の、いとこの女御の御もとに、仕うまつるやうにてゐ給へりけるを、かたちのいとめでたくおはしければ、盗みて負ひて出でたりけるを、御せうと堀河の大臣、太郎国経の大納言、まだ下臈にて内裏へまゐり給ふに、いみじう泣く人あるを聞きつけて、とゞめてとり返し給うてけり。それをかく鬼とはいふなりけり。まだいと若うて后のたゞにおはしける時とや。

【訳】 
昔、男がいた。結ばれそうにない高貴な女性を、長い歳月をかけて求婚しつづけていたが、やっとのことでさらい出して、夜の暗いなかを逃げてきた。
女を連れて芥川という川にさしかかったところ、女が草の上に降りた露を見て、
「あれはなに?」
と、男に尋ねた。
 行く先はまだ遠く、夜も更けてきたので、そこが鬼(霊)が住む所とも知らずに、雷までもひどく轟いているし、雨もすごく降っていたので、女を荒れた蔵の奥に押し隠して、自分は弓と矢筒を背負って、戸口で警戒していた。
 早く夜が明けてほしいものだと思いながら、戸口で男が過ごしているあいだに、蔵の奥では霊(鬼)が現れ、いきなり一口で女を食べてしまっていた。
女は「あぁっ!」と叫んだのだが、雷が鳴る音にかき消されて、男には聞こえなかった。次第に夜も明けていくので、ほっとして蔵のなかを見ると、連れて来た女がいない。男は地団太を踏んで悔しがったが、もうどうしようもなかった(そこで、芥川を渡ったところで女が「あれはなに?」と尋ねていたことを思い出して)。

 白玉かなにぞと人の問いし時 
   露と答えて消えなましものを  
(「あの光るのは真珠ですか、何なのですか」とあの人が尋ねたとき、「露のひかりです」と答えて、ぼく自身もあの儚い露のように消えてしまえば佳かった〔潔く二人し命懸けて心中すればよかった〕。そうすればこんなに哀しまずにすんだのに)


【超訳】 
どうしようもなかった。
彼女を連れて逃げるしかなかい。俺はそう思って、後宮に忍び込んだ。
高子《たかいこ》を背負って逃げる俺に気づいた侍女たちが、泣いて騒ぐけれど、そんなことにかまっちゃいられない。外は真っ暗で道もわからない。とりあえず芥川に沿って進んで行った。夜陰に川面がかがやいているが、夜露が深い。足元はじっとり濡れた。
ようやく追っ手もいなくなった。ひと安堵。
高子もなんだか嬉しそう。負ぶった背中から、高子が無邪気に聴くんだ。
「ねぇ、あれなあに? 真珠? 」
草の上の露が光ってるのをそんな風に言うんだ。ホント、全然、不安なんかないみたいでさ、無邪気で、こころから悦びつつ、俺を信じてくれてるんだなって思えた。さすが自然児さん。大好きだ。こころから愛している。
 
けれど、真夜中だし、雷が鳴ったかと思うと、雨がひどく降ってくる。高子は神鳴りが大嫌い。過剰に感応道交してしまう躯《コーサル体》だから。だから仕方ないから、何か出そうな怪しげな雰囲気のところだったけど、使われていない古い倉庫を見つけたんで、そこに高子を入らせて、俺は扉の外で見張りをすることにした。
 弓矢を握り締めながら、「早く夜が明けてくれ……」と思っていた。
 雷の音はますます激しくなってくる。そして、ようやく、夜が明けた。
 倉庫の扉を開けて、中を見た。・・・。高子は、いなかった。まるで鬼にでも喰われたみたいに。
 ・・・わかってる、あいつらだってことは。兄貴たちだ。彼らが、高子を連れ戻しに来たんだ。そして俺は、それに気づくことすらできなかった。ただ、泣くしかない。  

  白玉かなにぞとひとの問ひし時
   
   露と答へて消えなましものを
(
あれは真珠なの、何なのって、君が聴いたあの時、露だよって答えて、一緒にそのままいのち惜しまず、この世から消えてしまえばよかったんだ。ごめんよ)

【解】
二条の后高子が、いとこの女御《染殿明子》のもとに宮仕えする前の話。后がそれは愛らしく素晴らしく格好よく素敵だったので、男《業平》がさらい出し背負って逃げた事実に由来する。后の兄堀河の大臣とその長男太郎国経の大納言が、その時はまだ身分が低く宮中へ参内なさる折、ひどく泣く女がいるのを聞きつけ、男《業平》が連れて行くのを掴まえ二条の后を取返されたというのが事の顛末。それをこのような鬼出没話に置き換えたわけだ。まるで日本版ロミオとジュリエット。まだ二条の后も若者で普通の身分だった頃の話である。
 この戀の行方は、一度東国へ行く(逝く)という、当時では一種の死界(熊野)巡りの痛苦の旅を濾過することでしか、昇華されないことだろう。
   


むかし、男ありけり。京にありわびて東にいきけるに、伊勢・尾張のあはひの海づらを行くに、浪のいと白くたつを見て、
 いとゞしく過ぎ行く方の戀しきに
   うらやましくもかへる浪かな
となむよめける。
 
【訳】 
むかし 男がいた。京の都に居づらくなって、東国へ向かったが、伊勢の国と尾張の国との境の海辺を行く途中、浪がとても白く寄せては返すのを見て、

  いとどしくすぎゆくかたのこひしきに 
   うらやましくもかへるなみかな
(ただでさえ遠くなってゆく京の都が戀しいのに、羨ましくもよせてはまた帰って行く波だ。ぼくは帰りたくとも帰ることが出来ないのに。)
と、詠んだそうだ。

【解】
四段〜六段で禁断の戀と悲戀を経験した男が、傷心旅行に田舎に出かけた。これから八段以降の、田舎が舞台の物語の前置きの章段である。
実際は、傷心旅行というより、事前逃亡。六段での禁断の戀のことが周囲に露顕し、追放・左遷される前に逃げ出したのであろう。そのほうが、「帰りたくても帰れない」という嘆きに現実味が増すような気がする。



むかし、男ありけり。京や住み憂かりけむ、あづまのかたにゆきて住み所もとむとて、ともとする人、ひとりふたりしてゆきけり。信濃の国、浅間の嶽に、けぶりの立つを見て、
 信濃なる浅間の嶽にたつ煙
  をちこち人の見やはとがめぬ
  
【訳】 
昔、男がいた。都は住みづらかったのだろうか、東国のほうへ行って住む所を求めると言って、お伴を一人二人つれて行った。途中で、信濃の国は浅間山に煙が立つのをみて、

  信濃なる浅間の嶽に立つけぶり 
    をちこち人の見やはとがめぬ
(信濃の国にある浅間山に立つ煙。あちこちの人が見咎めないのだろうか、いや見咎めるだろう)

【解】
京人にとって「山」といへば比叡山であり、煙を噴き上げる山は異様にうつる。それなのに信州の地元の遠近の人たちは、特に関心を示さない。それがこの男にとって不審だった。地の果てへやってきたエトランジェ(局外者)の情緒を醸し出すための段章か。
ちなみに、業平を「異人」(この世の旅人)として解釈すると、本書の思想的陰影と奥行きが深まる。そのとき高子は「巫女」。巫女と異人《サニワ》の物語りということになる。



むかし、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、「京にはあらじ。あづまの方に住むべき国もとめに」とて往きけり。もとより友とする人、ひとりふたりしていきけり。道知れる人もなくてまどひいきけり。 
 三河の国、八橋《やつはし》といふ所にいたりぬ。そこを八橋といひけるは、水ゆく河のくもでなれば、橋を八つわたせるによりてなむ八橋といひける。その沢のほとりの木のかげにおり居て、餉くひけり。その沢に、燕子花いとおもしろく咲たり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句のかみにすゐて、旅の心をよめ」といひければ、よめる。 
  唐衣きつゝ馴にしつましあれば
   はるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人餉のうへに涙おとしてほとびにけり。行き行きて駿河の国にいたりぬ。

 宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、蔦かへでは茂り、もの心ぼそく、すゞろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。「かゝる道はいかでかいまする」といふを見れば見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、ふみかきてつく。
  駿河なる宇津の山辺のうゝにも
    夢にも人に逢はぬなりけり
富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いとしろう降れり。
  時しらぬ山は富士の嶺いつとてか
    鹿の子まだらに雪の降るらむ
その山は、こゝにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。

 なほゆきゆきて武蔵の国と下総の国との中に、いとおほきなる河あり。それを角田河といふ。その河のほとりにむれゐて、思ひやれば、かぎりなく、遠くも来にけるかな、とわびあへるに、渡守、「はや舟に乗れ。日も暮れぬ」といふに、乗りて渡らむとするに、みな人ものわびしくて、京に思ふ人なきにしもあらず。さる折りしも、白き鳥の嘴と脚とあかき、鴫のおほきさなる、水のうへに遊びつゝ魚をくふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」といふを聞きて、
  名にしおはゞいざこと問は都鳥む
    わが思ふ人はありやなしやと
とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。 


【訳】 
 昔、男がいた。その男は自分の身をこの世では値打ちがない無用者《ニヒリストの異人》と思ってしまって、「京〔この世〕にはいないでおこう、東国の方に住むのによい国〔あの世〕を探しに行こう」と言って行った。前からの友人を一人二人つれていった。とはいえ、道案内もなくて迷いながらの旅である。  
 三河の国の八橋というところに辿りついた。そこを「八橋」というのは、水がクモの足のように八本に分かれて流れているので、橋を八つ渡していたからだ。
 その水辺の木かげに下りて座って弁当を食べた。
 その沢に折しも、杜若《かきつばた》がとてもきれいに咲いていた。それを見て友人の一人が、「かきつばたという五文字を句の頭に置いて旅の気持ちを詠め」といったので、男はつぎの歌を詠んだ。

 唐衣
 着つつなれにし
 妻しあれば
 はるばる来ぬる
 旅をしぞ思ふ
(着慣れたからごろものように添い親しんだ戀人は遠く離れた京都〔この世〕にいる。ぼくはそんな京都からはるばるこんな遠いところ〔あの世〕まで旅して来たんだな)
 
と詠んだので、一同はみんな(都においてきた戀人のことを想い)ごはんの上にぼたぼた涙を落とし、ごはんがふやけてしまった。


 さらに旅を続け、駿河の国へ着いた。宇津の山にやってきたが、これから自分たちが入ろうとする道は、とても暗くて細いうえに、蔦や楓(本によっては蔓)がおい茂り、なんとなく心細く、ひどい目に遭うものだな〜と思っていると、ひとりの修行者に出会った。
 「こんな道になぜいらっしゃるのですか」
と修行者がいうので見ると、以前京都で会ったことのある人だった。
そこで彼に、都にいる戀人の御元に届けてほしいといって、手紙を書いて託した。

 駿河なる宇津の山べの現にも
  夢にも人にあはぬなりけり
(駿河にある宇津の山辺にきていますが、その山の名《うつつ》の如く、現実にはあなたに逢ふことが出来ず、せめてもの頼みとしている夢の中でさへあなたに逢ふことができません。あなたはもう私のことなど忘れてしまったのでしょうか)


富士の山を見ると、(旧暦)五月の末だというのに、まだ雪がとても白く降りつもっていた。

 とき知らぬ山は富士の嶺いつとてか
   鹿の子まだらに雪のふるらむ
(時節を超えた山が、富士の嶺だ。いったい今いつだと思ってあのように、子鹿模様のように雪がふっているのだろうか)

その山は京都でいえば比叡山を二十ほど重ね上げたであらうほどの高さで、形は塩尻〔製塩のため砂を山形に積み上げたもの〕のやうだった。

 さらにどんどん旅を続けて行くと、武蔵の国と下総の国との間にとても大きな川があった。隅田川という。その川のほとりに集まって座って、京に思いをはせ、限りなく遠くにまで来てしまったことよと嘆きあっていると、船頭が「早く舟に乗れ、日も暮れてしまう」と言うので、乗って渡ろうとすると、皆はなんとも言えず淋しく、京都の戀人のことを想わない者はだれ独りいなかった。
 ちょうどその時、白い鳥で、嘴《くちばし》と足とが赤く、鴫《しぎ》くらいの大きさの鳥が、水上に遊びながら魚を獲って食べていた。都ではみかけない鳥なので、人々は皆、その名を知らなかった。船頭に尋ねると、「これが都鳥だよ」というのを聞いて、

 名にし負はばいざ言問はむ都鳥 
  わが思う人はありやなしやと
〔(都ということばを)名に負っているのならば、(都のことはなんでも知っているだろう。ならば)さあ尋ねよう、都鳥よ。ぼくの戀慕い焦がれ想うあの人は、無事で元気に暮らしているだろうか〕

と詠んだので、舟中の人は一同、感極まって泣いてしまった。



むかし、男、武蔵の国までまどひありきけり。さてその国にある女をよばひけり。父はこと人にあはせむといひけるを、母なむあてなる人に心つけたりける。父はなほびとにて、母なむ藤原なりける。さてなむあてなる人にと思ひける。このむこがねによみておこせたりける。住む所なむ入間の郡み吉野の里なりける。
  みよし野のたのむの雁もひたぶるに
   君が方にぞ寄ると鳴くなる
むこがね、返し、
  わが方に寄ると鳴くなるみよし野の
    たのむの雁をいつか忘れむ
となむ。人の国にても、なほかゝることなむやまざりける。

【訳】 
昔、男が武蔵野国まで迷い歩いてきた。さて、その国である女に求婚した。女の父は当地の有力者で、「別の人に結婚させよう」と言ったが、母は、高貴な人に執着した。父は普通の出の人で、母は、藤原氏一族の出身。だから高貴な人に結婚させたいと思っていた。そこで母が、この婿がね(=婿候補)に詠んで送った歌。住む所が、入間の郡、みよしのの里であった。

 みよし野のたのむの雁もひたぶるに 
   君が方にぞ寄ると鳴くなる
(みよし野の田の面にいる雁も鳴子を振ると片方に寄って鳴きますが、あなたを頼りにする娘もひたすらに貴方のほうに寄ると泣いているようです)

婿がねが返歌して

 わが方に寄ると鳴くなる三芳野の
   たのむの雁をいつか忘れむ
(私のほうに寄ると鳴くという三芳野の田の表の雁〔あなたの娘さん〕をいつ忘れましょうか、忘れることはありません)

と詠んだ。〔さすが愛の狩人の業平〕よその国でも、やはりこういう風流事は、止まなかったようだ。


十一
むかし、男、あづまへゆきけるに、友だちどもに、道よりいひおこせける。
      
  忘るなよほどは雲居になりぬるとも
    空ゆく月のめぐりあふまで

【訳】 
昔、男が東国は武蔵野へ行った時のことだ。一緒についてきた友人たちが京に戻るという。そこで帰る友達にあてて歌を詠んでよこした。

 わするなよほどは雲ゐになりぬとも
   そらゆく月のめぐりあふまで
(遠く離れ、この身は雲上の人〔≒死者〕となったとしても、空行く月が巡ってまたもとのところに戻ってくるように、再び会える日まで、ぼくのことを忘れないでよ。)


十二
むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆく程に、盗人なりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかにおきて逃げにけり。道くる人、「この野は盗人あなり」とて火つけむとす。女わびて、 
 武蔵野は今日はな焼きそ若草の
  つまもこもれりわれもこもれり
とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率てけり。

【訳】 
昔、男がいた。男《業平》は、人の娘《先段の三芳野の娘》を盗んで〔旧家は窮屈で退屈そうだったので強引に誘い出し駆け落ちした〕、武蔵野に逃げたのだが、男は〔駆け落ちとはいえ〕他家の娘を盗んだということで、国守(県知事)に追いかけられた。草むらの陰に彼女を置いて様子を見に行くと、追っ手は、「この野に盗人がいる」と言って火を付けようとする。まるで犯罪人扱いだ。その声が彼女にも聞こえたんだろう、俺のことを心配して草むらから飛び出してきた。

 武蔵野はけふはな焼きそ 
  若草のつまもこもれり我もこもれり
(お願いです、武蔵野は今日だけは焼かないで! 私はちゃんとここにいるし、この野には愛しい夫も隠れていますから)

と詠んだのを聞いて、火は付けずに、〔まず〕女をつかまえて、〔それを哀しんだ男が出頭したので〕一緒に連れて行った。



十三
むかし、武蔵なる男、京なる女のもとに、「聞ゆれば、恥し、聞ねば苦し」と書きて、上書に「武蔵鐙(あぶみ)」と書きて、おこせてのち、おともせずなりにければ、京より女、
 武蔵鐙をさすがにかけて頼むには
  問はぬもつらし問ふもうるさし
とあるを見てなむ、堪へがたき心地しける。
 問へば言ふ問はねば恨む武蔵鐙
  かゝる折にや人は死ぬらむ

【訳】
武蔵の国に住みついた男が、都に残してきた女のもとに、「こんなことを便りすれば恥づかしいし、便りをしなければ〔不誠実ということで〕苦しい思ひをします」と記して、三芳野の娘のこととかを書いて、しかもその表書きに「武蔵鐙」なんて書いた手紙を贈ったが、その後、音沙汰がなくなってしまった。そこで心配した都の女から

 武蔵鐙さすがにかけて頼むには
  問はぬもつらし問ふもうるさし
(鐙が馬の左右にかかってるように、あなたも二股をおかけになられたのですね。武蔵の国で妻を持たれたやうですが、それでも私はやはりあなたを心にかけて信頼しています。お便りがないのは辛いし、お便りあればあったで、浮気なさっているあなたを思ふと複雑な気持です)

と詠んで寄した歌を見て、男はたまらない気持になった。そこで、

 問へばいふ問はねば恨む武蔵鐙
  かかる折にや人は死ぬらむ
(便りをすればあれこれの心配が起きるとおっしゃるし、便りをしなければ辛いと言って恨まれるし、ぼくはいったいどうすればいいのだろう。こんな時に人は思ひ惑って死ぬのでしょうか。) 

【解】
その女性《高子》と出会うためにこそ生まれた。尊敬し信頼し合える、そんな人と巡り会うことこそが戀。その相手と一緒になれぬ男。たとえ他の女と家庭を築いてひとなみの平凡な生活を送ろうとしても、それは不可能である。運命に叛くだけの人生だから。ならば死ぬしかないのか。自問自答の日々が全編にわたって鳴り響く、そのために置かれた段章だろう。


十四
むかし、男、陸奥《むつ》の国にすゞろに行きいたりけり。そこなる女、京のひとはめづらかにおぼへけむ、せちに思へる心なむありける。さてかの女、
 なかなかに戀に死なずは桑子にぞ
   なるべかりける玉の緒ばかり
歌さへぞ、ひなびたりける。さすがにあはれとや思ひけむ、いきてねにけり。夜ふかくいでにければ、女、
 夜も明けばきつにはめなでくた鶏の
   まだきに鳴きてせなをやりつる
といへるに、男「京へなむまかる」とて、
 姉歯のあねはの松の人ならば
  都のつとにいざといはましを
といへりければ、よろこぼひて、「おもひけらし」とぞいひ居りける。

【訳】 
昔、男が陸奥の国にあてどもなく辿り着いた。そこに住む女は都の人を珍しく思ったのであろう。ひたすらその男に思ひを寄せる心があった。だからその女はこんな歌を詠んだ。

 なかなかに戀に死なずは桑子にぞ
   なるべかりける玉の緒ばかり
(なまじ戀に焦がれて死ぬよりも、たとへ短い間の命でも夫婦仲が良いと言はれている蚕になりたい)

人柄も、蚕をひきあいにだすこの歌も田舎びてはいたが、その一途な気持ちに心をうたれたのであらう、男は女のもとへ行って一夜寝た。しかしまだ夜の深いうちに女の家を去った〔=女に魅力を感じなかった〕ので女は、

  夜も明けばきつにはめなでくたかけの
    まだきに鳴きてせなをやりつる
〔夜が明けたらあの鶏め水槽にぶち込んでやる。鶏め早すぎる時刻に鳴いてあの人を帰らせてしまった〕

と歌を詠んだ〔ので興醒め〕。
男は「おいとまして都へ帰ります」と言ひ

 栗原のあねはの松の人ならば
  都のつとにいざといはましを
〔栗原の姉歯の松が人であるなら、都への土産に「さぁ一緒に」と言ひたいところですが。でもあなたはこの地を離れられない姉歯の松のような方。ご一緒できないのが残念です〕

と詠んだところ、女はその意味を違へ〔松を「待つ」の暗示と勘違いし〕すっかり喜んで、「あの人は私を愛していたのだよ」とずっと言っていたという。



十五
むかし、陸奥の国にて、なでふ事なき人のめに通ひけるに、あやしうさやうにてあるべき女ともあらず見えければ、
 しのぶ山しのびて通ふ道もがな
   人の心の奥も見るべく
女かぎりなくめでたしと思へど、さるさがなきえびすごゝろを見ては、いかゞはせむは。

【訳】 
昔、(男が京へ戻る途中の)陸奥の国にて、ある人妻と知り合いになった。彼女は一見、ごく普通にみえるのだが、どこか不思議な雰囲気があり、そのような境遇にいるべき女性ではないように思われたので、

 しのぶ山忍びて通ふ道もがな 
   人の心の奥も見るべく
(しのぶ山の名前のように忍んでこっそり通う道がほしい。鄙びたこんな田舎に住むのが相応しくない貴女の心の奥までも見ることができるように)

と書いてよこした。女は、その歌をこの上なくすばらしいとは思ったのだけれど、人妻だと分かって誘惑する男のストレートな下心を見てしまっては、どうせよというかと惑ってしまった。ぼくも若かったな〜。


十六
むかし、紀有常《きのありつね》といふ人ありけり。三代の帝に仕うまつりて時にあひけれど、のちは世かはり時うつりにければ、世の常の人のごともあらず。人がらは心うつくしく、あてはかなることを好みて、こと人にもにず。貧しくへても、なほ昔よかりし時の心ながら、世の常のこともしらず。としごろあひなれたる妻、やうやうとこ離れて、つひに尼になりて、姉のさきだちてなりたるところへ行くを、男まことにむつまじきことこそなかりけれ、いまはとゆくをいとあはれと思ひけれど、貧しければ、するわざもなかりけり。思ひわびて、ねむごろにあひ語らひける友だちのもとに、「かうかう今はとてまかるを、何事もいさゝかなることもえせで、つかはすこと」と書きて、おくに、
 手を折りてあひ見しことを数ふれば
   十といひつゝ四つはへにけり
かの友だちこれを見て、いとあはれと思ひて、夜のものまでおくりてよめる。
 年だにも十とて四つは経にけるを
   いくたび君を頼み来ぬらむ
かくいひやりたりければ、
 これやこの天の羽衣むべしこそ
   君が御衣と奉りけれ
よろこびに堪へで、又、
 秋や来る露やまがふと思ふまで
  あるは涙の降るにぞありける

【訳】 
昔、紀有常《きのありつね》という人がいた。三代の天皇にお仕えし、時流にのって栄えもしたが、後には帝も替わり、時代も変化し、最近では藤原一族が官職を独占するようになったので、権力の中枢からははずされ、暮らし向きも世間一般並み以下に零落してしまった。
でも有常は高潔な人柄で、心がきれい、しかも上品で雅やかなことを好む風流人であり、他の人とはちょっと異なっていた。閑職に回されても、収入が減って貧しく過ごしていても、やはり昔の豊かだったときの気位の高い高潔な心のまま。自分を落とすようなことはしない。世渡り下手で世事に疎いままだったが。
 とはいえ、長年連添ってきた妻も次第に(有常から)心が離れてゆき、とうとう尼になって、姉で先に尼になっているところへ行くという。有常はこの妻に、これまでちゃんとしたことをしてはやれなかった。「これでお別れですね」と去り行く妻をみていると、とても可哀相と思った。けれど貧乏だったので、してやるべきことも出来なかった。
 悲しく思って、親しく交際していた友達(業平)のところに、「かくかくしかじかで、『これで』と言って出て行くのを、何も、ちょっとしたこともできないで行かせることです」と書いて、その後に

 手を折りてあひみしことをかぞふれば 
   十といひつつよつはへにけり
(今、妻と別れるに際し、今日まで彼女と過ごしてきた年月を指を折って数へたら、四十年も経ってしまっていたよ)

例の友達はこれを見て、とても可哀想に想い、尼になるために役立つような衣装はもちろん、夜具のたぐいまで贈って、歌を詠んだ。

 年だにも十とてよつはへにけるを 
  いくたびきみをたのみきぬらん
(無常に過ぎゆく年月でさえも四十年は経ったのに、その間、奥様は何度あなたを頼りにして生きてこられたことでしょう。)

このように言ってやったので、有常が返歌して

これやこのあまの羽衣むべしこそ 
君がみけしとたてまつりけれ
(これがかの有名な尼の衣、いや天の羽衣ですね。あなたの御衣としてお召しになっていたという。私には身に余るものでございます)

喜びに堪えられず、さらにもう一首

  秋やくるつゆやまがふとおもふまで 
    あるは涙のふるにぞありける
(私の袖がすっかり濡れてしまったのは、早くも露の置く秋が来たせいなのでしょうか? そう思えるほど、嬉し涙が雨のように流れ落ちます。ありがとう)

彼は古めかしく不器用だけれど、本当に誠実で、いい人だと思う。


十七
年ごろおとづれざりける人の、桜の盛りに見に来たりければ、あるじ、
  あだなりと名にこそたてれ桜花
    年にまれなる人も待けり
 返し、
  今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし
    消えずはありとも花と見ましや

【訳】 
偶然、前を通りかかった家の庭に、桜の花が今は盛りと咲いていた。よく見ると、何年か前に付き合っていた女の家だった。
断られるのは覚悟の上で、『庭の桜を見たいんだけど・・・、』と言ってみたら、意外にも、すぐに家の中に通してくれた。
しばらくして、彼女自身が俺の目の前に現れて、こう言った。

 あだなりと名にこそ立てれ桜花
   年にまれなる人も待ちけり
(移り気で散り易いと評判の高い桜の花ですが、年のうちに稀にしか訪れない人をかうして、散らずに待っておりましたよ。女は桜を自分に例へている。軽い皮肉)

その返し歌。
 今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし
   消えずはありとも花と見ましや
(私が今日来なかったなら、その桜花は明日は雪のやうに降り散ってしまふことでせう。たとへ雪のやうに消へ去ることはなくても、散った後ではもとの花と同じやうに愛でることが出来ませうや。〔私がもし今日来ないで明日だったらあなたはきっと私に冷たくなっていたでせうね。これも軽い皮肉〕)

【解】
『古今集』巻第一、春歌上、六二・六三咏に同上文。


十八
むかし、なま心あるありけり。男ちかうありけり。女、歌よむ人なりければ、心みむとて、菊の花のうつろへる折りて、男のもとへやる。
 紅ににほふはいづら白雪の
  枝もとをゝに降るかとも見ゆ
男、知らずよみにける。
 紅ににほふがうへの白菊は
  折りける人の袖かとも見ゆ
 
【訳】 
昔、生半可に情趣を解する女がいた。その近くに男が住んでいた。女は歌詠み人だったので、試してみようと思って、霜にあたって少し薄紅に色褪せた菊の花を折って、男の元へ歌とともに贈った。

 紅ににほふはいづら白雪の
  枝もとをゝに降るかとも見ゆ
(美しく香る紅色はいったいどこにあるのでしょう。この菊の花は、白雪が枝もたわむばかりに降るかのように、真っ白に見えます〔あなたは好色だと聴いていますが、一向にそれらしき節がありませんね〕)

男は、この歌の真意が分からないふりをして返歌を詠んだ。

 くれなゐににほふがうへの白菊は 
   折りける人の袖をかとも見ゆ
(紅色を隠すかのやうな白菊は、これを折ったあなたの袖の重ねの色に見えます〔白い袖の下に見え隠れする赤い重ねの部分のやうに、あなたの好色の下心が見え隠れしてますよ〕)



十九
むかし、男、宮仕へしける女の方に、御達なりける人をあひ知りたりける。ほどもなくかれにけり。おなじ所なれば、女の目には見ゆるものから、男はあるものかと思ひたらず。女、
 天雲のよそにも人のなりゆくか
  さすがに目には見ゆるものから
とよめりければ、男、返し、
 天雲のよそにのみして経ることは
   わが居る山の風はやみなり
とよめりけるは、また男ある人となむいひける。

【訳】 
 ある男《業平》は宮中に戻ってまた宮仕えをはじめた。当然、むかしの同僚たちといやでも顔をあわせることになる。その昔のことだが、かつて、帝にお仕へしている女のもとに仕へていた女房と関係したことがあった。男は、間もなくその女と関係がなくなっていた。(だがこうして昔と)同じ宮中へ仕へているので、女には男が目につくものの、男は女がそこにいるかとさへ考へなかった。そこで女が恨み歌。

 天雲のよそにも人のなりゆくか
  さすがに目には見ゆるものから
〔あなたは天の雲のやうによそよそしくなっていくのですね。遠のきながらも雲のやうに私の見へる所におられるくせに(目に見へても手の届かぬ雲に男をたとえた)〕

と歌を詠んで贈ったので、男は返歌した。

 天雲のよそにのみして経ることは
   わが居る山の風はやみなり
〔天の雲がよそよそしい態度をとり続けているのは、雲のいるべき山の風が早いからですよ(他の男を通はせている女を、風の強い山にたとへた)〕

そう詠んだ訳は、他にも男がある女だからだといふことだった。



二〇
むかし、男、大和にある女を見てよばひてあひにけり。さてほど経て、宮仕へする人なりければ、かへりくる道に、三月ばかりに、かへでもみぢの、いとおもしろきを折りて、女のもとに道よりいひやる。
 君がため手折れる枝は春ながら
   かくこそ秋の紅葉しにけれ
とてやりたりければ返り事は、京にきつきてなむもてきたりける。 
 いつの間に移ろふ色のつきぬらむ
   君が里には春なかるらし
  
【訳】 
昔ある男が大和の国に住むある女を見て求愛して通ふことになった。その後しばらくしてある日、男は宮仕への身だったので都へ戻るのであるが、その途中、三月ごろではあったが、楓の紅葉がとても風情のあるのを折って、女の元に旅の途中から、歌を詠んで紅葉と一緒に贈った

 君がため手折れる枝は春ながら
  かくこそ秋のもみぢしにけれ
〔あなたのために手折ったこの楓の枝は、春の季節ですがこんなに秋のやうに紅葉しています(私の思ひがこんなにさせたのです。この歌の中の「秋」に「飽き」は感じられない)〕

と詠んでやると、
女からの返歌は、男が都に着いた丁度頃合いの時分に、持って来た。

 いつの間にうつろふ色のつきぬらむ
   君が里には春なかるらし
〔この楓はいつの間に色変りしたのでせうか。きっとあなたが住んでおられる所は春はなくて秋(飽き)ばかりなのでせうね(私にもう飽きたのですかと拗ねて言っている)〕



二一
むかし、男をんな、いとかしこく思ひかはしてこと心なかりけり。さるを、いかなる事かありけむ、いさゝかなることにつけて、世の中をうしと思ひて、出でていなむと思ひて、かかる歌をなむよみて、ものに書きつけける。
 いでていなば心かるしと言ひやせむ
   世のありさまを人は知らねば
とよみおきて、出でていにけり。この女かく書きおきたるを、けしう、心おくべきことを覚えぬを、なにによりてかかゝらむと、いといたう泣きて、いづ方に求めゆかむと、門にいでて、とみかうみ、見けれど、いづこをはかりとも覚えざりければ、かへりいりて、
 思ふかひなき世なりけり年月を
   あだに契りて我や住まひし
といひてながめをり。
 人はいさ思ひやすらむ玉かづら
   面影にのみいとゞ見えつゝ
この女、いとひさしくありて、念じわびてにやありけむ。いひおこせたる。
 今はとて忘るゝ草のたねをだに
   人の心にまかせずもがな
返し、
 忘草植うとだに聞くものならば
  思ひけりとは知りもしなまし
またまたありしよりけにいひかはして、をとこ、 
 忘るらむと思ふ心のうたがひに 
  ありしよりけにものぞかなしき
返し、
 中空《なかぞら》に立ちゐる雲のあともなく 
  身のはかなくもなりにけるかな
とはすひけれど、おのが世々になりにければ、うとくなりにけり。


【訳】
むかし、ある男女が、たがいに心から愛し合い、他の人に心を移すなんてことはなかった。なのにどんなことがあったのだろう。些細な事が原因で、女は夫婦間に嫌なものを感じ、家を出て行こうと思い、こんな歌を詠んで物に書付けた。

 いでていなば心軽しといひやせむ
   世のありさまを人は知らねば
(私が家を出て行ったなら、軽薄な女だと世間の人は言うでしょう。夫婦間のことは他人には分からないのだから)

さう詠みおいて家を出て(何処へとなく)去って行った。
この女がこんな風に書いておいて行ったのを、男は理解できず、女が自分からこころが離れていった心当たりもないので、どうしてこうなったのであらうと、ひどく泣いて、何処へ探しに行けばよいのかと、門を出て、あっちを見たりこっちを見たりしたが、何処を目当てに女が出て行ったのか、見当もつかないので、家に戻り

 思ふかひなき世なりけりとし月を
   あだにちぎりて我やすまひし
(いくら愛しく思っても思う甲斐のない仲であったなぁ、長い年月をいい加減に縁を結んで私は暮らしてきたのであらうか。)

と歌を詠んで物思ひに耽っていた。

 人はいさ思ひやすらむ玉かづら
   面影にのみいとど見えつつ
〔あの人は、さぁどうだろうか、私のことを思っているのだろうか、面影が見え隠れするのはあの人が私のことを思っている証だといふが、さぁどうだかな。(※当時の風習では、夢幻に想う相手が現れるなら、それは相手が自分を想っている証だとされていた。)〕

女は、ずいぶん日にちが経ってから、我慢しきれなくなったからであろう、男に歌を詠んで寄こした。

 今はとて忘るる草のたねをだに
   人の心にまかせずもがな
〔今となってはもう、終りだと言って私を忘れてしまふ忘れ草の種を、せめてあなたの心には蒔かせたくないのです。〕

男から女への返歌。

 忘れ草植ふとだに聞くものならば
   思ひけりとは知りもしなまし
(私が忘れ草を植えているとだけでもお聞きになったなら、それは私があなたを思っていたのだと知って欲しいのです。)

この男女は、再び以前にも増して心を込めた歌のやりとりをして、男が次の歌を詠んだ。

 忘るらむと思ふ心のうたがひに
  ありしよりけにものぞかなしき
(もう私を忘れてしまっているだらうといふ疑心のために、以前別れた当時以上に悲しくてたまらないのです。)

女から男への返歌

 中空に立ちゐる雲のあともなく
  身のはかなくもなりにけるかな
(空の真ん中に漂っている雲が、跡形もなく消えるやうに、あなたを頼りにしていいものやら。我が身は何か中途半端な状態です。)

などと言っていたけれど、男女共それぞれ愛人を持つやうになったので、二人の仲は自然と疎遠になってしまった。



二二
むかし、はかなくて絶えにけるなか、なほや忘れざりけむ、女のもとより、
 憂きながら人をばえしも忘れねば
   かつ恨みつゝなほぞ戀しき
といへりければ、「さればよ」といひて、男、
 あひ見ては心ひとつをかは島の
   水の流れて絶えじとぞ思ふ
とはいいけれど、その夜いにけり。いにしへゆくさきのことどもなどいひて、 
 秋の夜の千夜を一夜になずらへて
  八千夜し寝ばや飽く時のあらむ
返し、
 秋の夜の千夜を一夜になせりとも
   ことば残りて鳥や鳴きなむ
いにしへよりもあはれにてなむ通ひける。

【訳】 
昔薄い縁のまま絶えてしまった夫婦仲ではあったが、やはり忘れることができなかったのであらうか、女のもとより。

 憂きながら人をばえしも忘れねば
   かつ恨みつつなほぞ戀ひしき
(あなたをつれない方だと思ひますけれど。忘れる事ができません。恨めしく思ひつつもやはり戀しく思ひます)

と歌を詠んできたので男は「それみたことか」と

 あひ見ては心ひとつをかはしまの
   水の流れて絶えじとぞ思ふ
(お互ひ夫婦となったからには、心一つに真心を交し、川の水が中洲にせかれて別れても、また再び一緒に流れるやうに、絶えず仲良くしたいものです)

と歌を詠んでやったが、その夜女の所へ行った過ぎし日のことや将来のことなど話して

 秋の夜の千夜を一夜になずらへて
  八千夜し寝ばやあく時のあらむ
(長い秋の夜の千夜を一夜に見て、その八千夜をともに寝たなら満足するときがあるでしょうか。)

女が返して詠う。

 秋の夜の千夜を一夜になせりとも
   ことば残りてとりや鳴きなむ
(長い秋の夜の千夜これを一夜にしましても、まだまだ愛の言葉が尽きないで夜明けを告げる鶏が鳴くことでしょう。)

こうして男は以前よりもしみじみと情を込めて、女のところへ通った。



二三〔筒井筒の段。別名「たけくらべ」〕
むかし、田舎わたらひしける人の子ども、井のもとに出でてあそびけるを、大人になりければ、男も女も、はぢかはしてありけれど、男は、この女をこそ得めと思ふ、女はこの男をと思ひつゝ、親のあはすれど聞かでなむありける。さて、この隣の男のもとよりかくなむ。
 筒井つの井筒にかけしまろがたけ
   過ぎにけらしな妹見ざる間に
女、返し、 
 くらべこしふりわけ髪も肩過ぎぬ
   君ならずして誰かあぐべき
などいひいひて、つひにほいのごとくあひにけり。さて年ごろふるほどに、女、親なく、たよりなくなるままに、「もろともにいふかひなくてあらむやは」とて、河内の国、高安の郡に、いきかよふ所いできにけり。さりけれど、このもとの女、あしとおもへる気色もなくていだしやりければ、男こと心ありて、かゝるにやあらむと思ひうたがひて、前栽の中にかくれゐて、河内へいぬる顔にて見れば、この女いとようけさじて、うちながめて、
 風吹けば沖つ白浪龍田山
  夜半にや君がひとり越ゆらむ
とよみけるをきゝて、かぎりなくかなしと思ひて、河内へもいかずなりにけり。まれまれかの高安に来て見れば、はじめこそ心にくもつくりけれ、いまはうちとけて、てづから飯匙とりて笥子のうつはものにもりけるを見て、心うがりていかずなりけり。さりければ、かの女、大和の方を見やりて、
 君があたり見つゝを居らむ生駒山
   雲な隠しそ雨は降るとも
といひて見だすに、からうじて大和人「来む」といへり。よろこびて待つに、たびたび過ぎぬれば、
 君来むと言ひし夜毎に過ぎぬれば
   頼まぬものゝ戀ひつゝぞ経る
といへけれど、男すまずなりにけり。

【訳】 
昔、都を離れて田舎に住んでいた人の子供が、井戸端に出て遊んでいたのが、年頃になったので、男のほうも女のほうもお互い恥ずかしがっていたが、心の中では男はこの人をこそ、お嫁さんにもらいたいと思っていたし、女は、このひとが夫になってくれたらと男性のことを思っていて、女の親は他の男にひき合わせたりしたのだが、結婚を承知せずにいた。さて、この(想い合っている)男のもとから、こんな詩が届いた。

 筒井つの井筒にかけしまろがたけ
   過ぎにけらしな妹見ざる間に
「井戸を囲う井戸枠と高さをくらべた僕の背丈も、あなたが見ない間に、ずっと高くなってしまったよ。」(君は知らなかっただろうけれど、僕はもう、大人なんだよ…君に逞しくなった僕を見せたいな…)

おんなは返して、

 くらべこしふりわけ髪も肩過ぎぬ
   君ならずして誰かあぐべき
「あなたと長さをくらべあった、おかっぱも、肩を過ぎる長さとなりました。あなたではなくて、いったい誰の為にこの髪をあげて、私は大人になるの。」

と互いに言いかわして、とうとう望みどおりに結婚の契りを交わした。

 そうして、数年経つうちに、女の親が亡くなって頼りとする財産や後ろ盾が無くなるにしたがって、男はふたりともみじめな暮らしに落ちてよいものかと考え、河内の国、高安の郡に、行き通うところ(結婚先)が出来てしまった。
 それなのに、このもとの女性は、不愉快だと思っている気配も無く、男を送り出すので、男は、「別の男に想いを寄せていて、こんなに素直に俺を送り出してくれるんじゃないだろうか」と疑って、庭の生垣のところにかくれて、河内に出かけるフリをして見てみると、この女性はたいそう深くもの思いにふけって〔「けさうじて」を化粧をしてと解する向きもあるが、旦那が出勤後に化粧するものだろうか。送り出すおりに化粧もしておくものだろう。だから「懸想」の意味で訳した〕、ぼんやりと外を眺めて、

 風吹けば沖つ白浪龍田山
  夜半にや君がひとり越ゆらむ
「風が吹けば、白波がたつ。その、たつという名のついている、立田山をこの暗い夜中にあなたはたった一人で越えているのだろうか…」(あぁ、あのひとが無事でありますように…)

と詠んだ。
それをきいて、男は妻をこの上なく愛おしい、と思って河内に通わなくなった。ごくまれにあの高安に訪ねてみると、会いはじめは奥ゆかしくつくろっていたのに、今は気を許して、自分自身でしゃもじを手にとって、食器にご飯を盛る(などといったたしなみのない行動をする)のを見て、うんざりして高安の女のもとへ通わなくなった。そんなふうに男が通わなくなったので、この女性、

 君があたり見つゝを居らむ生駒山
   雲な隠しそ雨は降るとも
「あなたがいらっしゃるあたりを眺めながら暮らそう。雲よ、(私の愛しいひとの道である)生駒山を隠さないで。たとえ雨が降っても…」

と外のほうを見ていると、やっとのことで、大和の男が来るだろう、と周囲の人が言った。女は喜んで男を待っていたけれど、しばしば空しく時間が過ぎてしまったので、

 君来むと言ひし夜毎に過ぎぬれば
   頼まぬものゝ戀ひつゝぞ経る
「あなたがいらっしゃる、と言ってよこした夜ごとに、待てばただ空しく時間が過ぎるだけ。だから、もうあなたが私のもとにいらっしゃる、なんてことは期待していませんけれど、それでも、あなたを想いながら毎日をおくっているわ。」

といって男に手紙をよこしたけれど、男はそのおんなのところに訪ねていかなくなってしまった。


二四 〔梓弓〕
むかし、男かた田舎に住みけり。男宮仕へしにとて、別れ惜しみてゆきにけるまゝに、三とせ来ざりければ、待ちわびたるけるに、いとねむごろにいひける人に、「今宵あはむ」とちぎりたりけるに、この男きたりけり。
 「この戸あけ給へ」とたゝきけれど、あけで、歌をなむよみていだしたりける。
 あらたまの年の三年を待ちわびて
   たゞ今宵こそ新枕すれ
といひだしたりければ、
 梓弓ま弓つき弓年を経て
  わがせしがごとうるはしみよせ
といひて、いなむとしければ、女、
 梓弓引けど引かねど昔より
  心は君に寄りにしものを
といひけれど、男かへりにけり。女いとかなしくて、後にたちて追ひゆけど、え追ひつかで、清水のある所にふしにけり。そこなりける岩に、およびの血して、書きつける。
 あひ思はで離れぬる人をとゞめかね
   わが身は今ぞ消え果てぬめる
書きて、そこにいたづらになりにけり。

【訳】
 昔、ある男が、都から離れた片田舎に住んでいた。その男が宮廷に出仕するといって女に別れを惜しみつつ行ってしまったまま、三年間もやって来なかった、女は待ちあぐねて辛い思いをしていたので、たいそう熱心に求婚してきていた別の男と、「今夜結婚しよう」と約束した、そこへ、先に夫だった男がちょうどやって来た。「この戸を開けなさい」と言って叩いたが、女は戸を開けずに歌を詠んで外の男に差し出した。
 
  あらたまの年の三年を待ちわびて
    たゞ今宵こそ新枕すれ
「三年もの間ずっとお待ちしましたが、待ちくたびれてしまい、よりによってまさに今夜、私は新しい人と結婚するのです。」

と詠んで差し出したところ、

 梓弓ま弓つき弓年を経て
  わがせしがごとうるはしみよせ
「いろいろなことがあった年月だったけれど、ずっと私があなたにしていたように、新しい夫を愛し仲良くしなさい。」
と男は言って、立ち去ろうとした。女は、

 梓弓引けど引かねど昔より
  心は君に寄りにしものを
「私の気持ちをあなたが引こうが引くまいが、私の心は昔からあなたにぴったり寄り添って離れないものでしたのに。」
 
と言ったが、男は帰ってしまった。女はたいそう悲しみ、男を追いかけたが追いつけず、美しい湧き水が出ている場所に、うつぶせに倒れてしまった。そこにあった岩に指から出た血で書きつけた歌は、

 あひ思はで離れぬる人をとゞめかね
   わが身は今ぞ消え果てぬめる
「私はあなたを熱愛しているのに、同じように思ってはくれないで離れていくあなたをどうしても引きとめることができず、私は今にも消え果ててしまうようです。」
と書いて、そこでむなしく死んでしまった。
 ※夫が家を出て三年間帰らないときは、自動的に婚姻が消滅するのが古来の慣習法。連絡を取ることも難しく、旅も容易でない時代の一種の智慧であろう。

【超訳】
一、郷里《さと》の女
 たとん…たとん、たとん、たとん…
砧《きぬた》の音が静かに響く。
女は、布を打ちながら考える。
 かの人は帰ってくるや?
 かの人は帰ってこぬや?
女は、宮仕えに行った男に想いをはせる。かの人に変わりはあるや? 無しや?
便りがないのが無事な証拠というけれど、もう三年《みとせ》。
女は砧の音を耳にしながら考える。
都には、華麗な文化もある、すてきな女性も住むという。かの人の心に、変わりは有るや? …無しや?
…かの人の心に変わりは、無しや? ……無しや?

二、都帰りの男
 男は、道を急いでいた。
 もうすぐ、きっかり三年目。愛しい女《ひと》に、一度も会いに帰ってやれなかった。彼女は、待ちわびていることだろう。もしかしたら、床に臥せっているかもしれない。もしかしたら、もう、新しい幸せを見つけてしまっているかもしれない。
 男はさまざまな不安を抱え、それでも愛しい女に会える喜びを、郷里に帰る懐かしさを、かみしめながら道を急いだ。

三、郷里《さと》の男
 おとこは、何かと世話をやいてくれた。男手の不在を、労働力として埋めてくれた。愛しい男《ひと》からの便りがない不安も、黙って聞いてくれた。
 そのうち女は、この郷里《さと》の男を頼るようになった。かの夫《ひと》のことを戀慕いつつも、まるで兄弟と同じに、郷里の男を思いやるようになった。
そうしてある日、男が女に告げた。
「めおとになろう」、と。
女は答えた。
「約束した三年《みとせ》を静かに待った後に」、と。
郷里の男は三年の間、静かに、だが暖かく女を支えつづけた。

四、再会
 おんなは、戸口に掛け込んで、板戸を閉めた。
 夫の姿を、遠目に見かけてしまったから。
 あの人が、帰ってきた…………。
昨日までなら、どんなに喜んだろう。
けれど、今夜は……
女は、戸を背にしてもたれかかった。体に力が入らなかった。
不意に、叩扉《こうひ》の音。
「今帰ったよ。戸を、開けてくれないか?」 
あぁ……。いとしい人の、声。
女の喉に熱いものが込み上げてくる。
女は、戸を開けなかった。いや、開けることができなかった。
男が、もう一度声を掛ける。
「俺の姿を見た途端、掛け込んでしまって……。意地悪をしないで、開けてくれないか?」
 三年も待たせてしまったな、と男は続ける。
 女は、知った。この男《ひと》の前で、隠し事などできないと。
 女は、わずかに戸を開け、薄板を差し出した。
 彼の姿を見ることさえ、つらかった。
 けれど、体半分の広さまで戸を開けてしまうと、彼の姿から目を離せなくなった。
 女は、男を真っ直ぐに見つめる。男も、見つめ返す。女の視界が、歪んだ。
「三年という長い間、ただひたすらにあなたの帰りを待ちわびておりました。けれど……」
 女はそこまでしか、言えなかった。女の頬に、熱いものが流れた。
 男は黙って薄板を受け取った。女が言えなかった続きを知った。
 
  『あらたまの年の三年を待ちわびて
   ただ今宵こそ新枕すれ』
〔けれど三年を待ちあぐね、折りも折り、今夜、別の方と愛の契りの初夜の約束をしてしまいました……〕
 薄板に記された歌が、女の言葉にそう続けていた。

五・梓弓
 男は終始無言だった。
女の涙は流れなくなった。
陽はゆっくりと傾いていった。
二人とも、戸板を挟んだまま、立っていた。
女は男のことをまだ想っていた。
男は、女がどちらの男と一緒になったほうが不安が少ないか考えた。やはり男にとって、大切なのは女がいつも微笑んでいることだから。帰りたくなかったわけではない。が、帰れなかった三年が男を弱気にした。
三年間は長い。もう、二人にとってお互いの生活は非日常になってしまった。
夕日が、空を朱色に染めだした。
   
カタン。
男は、女の差し出した薄板を戸板に立て掛けた。そうして駆け出した。再び家をあとにしたのである。

女が音に気付いて戸を開ける頃、もう男の姿は小さくなっていた。

  『梓弓真弓槻《つき》弓年を経て
   わがせしがごとうるはしみせよ』
〔長年の間、ぼくがあなたに愛情を注いできたように、新しい夫を大切になさい。……夫は生涯ただ一人の人と決めなくても良いものかもしれないし、お前には新しい夫と仲良くやっていける可能性もある。……まるで弓は、どの弓を選んでも大差が無いのと同じように……〕
そう、薄板の裏側に書かれていた。
男の、最後の優しさ。そして、かすかなうらみごと。

 女には男の皮肉よりも、身を引いてしまう男の潔さが恨めしかった。
 
  「梓弓ひけどひかねど昔より
   心は君によりにしものを」
〔あなたが私の心を引こうが引くまいが、私に愛情を注ごうが注ぐまいが、昔から私の気持ちはあなただけを想っておりますのに!〕

 そう叫んだのだけれど、聞こえているのかいないのか。男の背中はどんどん離れてゆく。知らず、女は薄板を落とし、駆け出した。
 追いついて、伝えたい。
 「あなたが、好きだ」と。
 「あなたを、愛している」と。
 そして、引きとめたい。…………自分のもとに。

六・闇の中
 女の足で男の足に追いつくことは難しかった。
女の声は男に届いていたが、男はもはや、立ち止まることはできなかった。男の居場所はもう、郷里にはないのだ。今更、安定を約束された女の生活を壊すことなど、できないではないか。それに、女が契る約束を交わした男に、なんと言って会えば良いのか。龍街に冒されたガタガタのこの躯でもある。男には、女を幸せにできる自信が無かった。 
 女はいつしか、山の中に居た。不慣れな女が大禍時《おおまがとき》に山に入るなど、愚かなことだと分かっていたけれど。女は男を想うことで手一杯で、宵闇を気にしてなどいられなかった。だから女は濃闇に何度も足を掬われた。何度も何度も。そうして最後に。女の体は斜面をすべり落ちた。
 山の中を駆けている間に傷だらけになっていった体は、とうとう痛みで動かなくなった。ぱっくりと開いた足の傷から流れる血は、止まる気配を見せない。頭部の挫傷、脊椎の激しい痛苦。もう、追いかけられない。完全にあの人を見失ってしまった。 
 ふらり。女は立ちあがり、よろよろと歩きだした。自分が落ちてきた先の、清水が流れている場所へ。女はせせらぎの横、巨大な岩にもたれかかるようにして座り込んだ。ここまでが、限界だった。
 水音が、なんだか心地よい。真っ暗な山の中であるというのに、ほ、と心が緩む。
 
ぽたり。
女の目から一粒、涙がこぼれる。
そうしてその一粒がきっかけとなって、女の涙はほろほろとあふれだした。
かなしくてかなしくてかなしくて。自分の気持ちが最愛のあの人に伝わらないのが哀しくて。彼を、おいかけられない自分の非力さが悲しくて。三年もの間見守っていてくれた男をほうりだしてしまった考え無しの自分が哀しくて。泪は、とどまることを知らない。  
ぶつり。女は、親指に歯を立てた。 
ぶつり。………ぶちり。  
……ぶつり、ぶちり、………ぶちり。  
流れる泪もそのままに。女は指を噛み切り噛み切りうたを書いた。

 『あひおもはでかれぬる人をとどめかね
  我が身は今ぞ消え果ぬめる』
〔互いに想い合うことなく、私からの一方通行の想いのまま、離れていってしまったあの人を呼びとめることも叶わないまま。なのに、私の体はもう、限界〕

それは、女の血潮《いのち》で岩に書かれた悲しみ。または、ひとつの戀の終焉。そうして、女は意識を手放した。



二五
むかし、男ありけり。あはじともいはざりける女の、さすがなりけるがもとにいひやりける。
  秋の野に笹分けし朝の袖よりも
   あはで寝る夜ぞひぢまさりける
色好みなる女、返し、
  みるめなきわが身を浦と知らねばや
    離れなで海人の足たゆく来る
  
【訳】 
昔、男がいた。逢いませんよとはっきりとは言わなかったが、いざとなったら逢ってくれない女のもとに歌をおくった。
 

 秋の野に笹分けし朝の袖よりも 
  
  あはで寝る夜ぞひぢまさりける
〔秋の野に、笹を分けて帰った朝の袖よりも、あなたに逢わないで寝た夜のほうが、悲しみの泪でもっとぐっしょり濡れるのです〕

 すると風流なこの女は、歌を返した。
 
 
 みるめなきわが身を浦と知らねばや
  
   離れなで海人の足たゆく来る
〔ここが海松藻など生えていない浦だと知らないからでしょうか、漁夫は止めやうともせず、足がだるくなるまで足繁く通って来ます。(あなたもまた、逢ふつもりのないこんな私を嫌な女だと思はないで、足しげく通ってこられます)〕


二六
むかし、男五条わたりなりける女をえ得ずなりにける事とわびたりける、人の返り事に、
  思ほえず袖にみなとの騒ぐかな
   もろこし舟の寄りしばかりに
  
【訳】 
昔、「五條附近に住んでいた女を手に入れることが出来なかった男がいたものよ」と、いまだにあれこれ言って訴える男がいた。余計なお世話だが、人間関係が大切な宮廷生活。無視しているわけにもいかないので、うまくはぐらかすしかないので、こんな風に答える事にしている。

  思ほえず袖にみなとの騒ぐかな
  
    もろこし舟の寄りしばかりに
〔思いがけず大騒ぎになって驚きました。
大きな唐船が寄港した港のようなもので、手の届くはずもない人に近づきすぎてしまったぼくが、うかつでした。〕

【解】
「五條わたりなりける女」は二条の后高子。ならば男は業平。当時の小共同体にとって、業平は「異人」。じつは業平こそが唐船。「業平異人伝説」を反照させる段章とも考えられる。


二七
むかし、男、女のもとにひと夜いきて、又もいかずなりにければ、女の、手洗ふ所に、貫簀をうちやりて、たらひのかげに見えけるを、みづから、
 我ばかりもの思ふ人はまたもあらじと
   思へば水の下にもありけり

とよむを、来ざりける男、立ち聞きて、
 水口にわれや見ゆらむ蛙さへ
   水の下にてもろ声に鳴く
  
【訳】 
昔、男が女のところに一晩行って二度とは行かなくなってしまったので、女は手を洗ふ所で、丁度、盥《たらひ》の上にかける貫簀《ぬきす》が除けてあって自分の顔が盥の水に映って見えたので、自ら次の歌を詠んだ

  わればかりもの思ふ人はまたもあらじと
    思へば水の下にもありけり
〔私ほど悲しい思ひをしている人はほかにはないと思っておりましたら、なんとこの水の下にもいましたわ〕

と詠んだのを、今まで通って来なかった男が立ち聞きして詠んだ。

  みなくちにわれや見ゆらむかはづさへ
    水の下にてもろ声に鳴く
〔水の下で泣く人とは、水口に私の姿が現れたのでせう。田の水口の蛙までもが水底で声をあはせて鳴いているではありませんか。私もあなたと声をあはせて泣いていますよ〕


二八
むかし、色好みなりける女、出でていにければ、
  などてかくあふごかたみになりにけむ
    水漏らさじと結びしものを
  
【訳】 
昔、風流好みの女が、他の男にひかれて男の家を出て行ったので、残されたその男が詠んだ歌。

 などてかくあふごかたみになりにけむ
   水もらさじと結びしものを
(どうしてこのやうに逢ふことが難しくなってしまったのか。水も漏らさない仲でいやうと誓い合ったのに)

【解】
「あふごかたみ」=逢ふ期難み(逢ふ時が得難い)。あふご(朸・天秤棒)と、かたみ(筐・竹で編んだ籠)とに掛けている。
「結びし」=契ると、水を汲むの意に掛けている。
筐(籠)は朸(天秤棒)でかつぐが、竹で編んだ籠に水を汲んでも漏れるばかり。


二九
むかし、春宮の女御の御方の花の賀に、めしあづけられたりけるに、
 花に飽かぬなげきはいつもせしかども
   今日のこよひに似る時はなし
  
【訳】 
昔、東宮の女御のもとで催された、花の賀に召し加へられたときに、男が詠んだ歌。

 花に飽かぬ歎きはいつもせしかども
   今日の今宵に似る時はなし
〔花に心を残して別れる悲しさはいつの年にも覚えたものですが、今日の今宵は今までにも似ず、とりわけ悲しい思いがします〕

【解】
春宮の女御の御方とは、春宮(皇太子)を生んだ母の女御、即ち「二条の后高子」。遠目での二人の再会。運命の女性である。業平がいつになく切々と真心を歌いあげているのも、故無しとはしない。青春の日々の愉悦と墜落。厳しい懸隔をどうするのか。この戀物語の執筆それ自体が解決の道なのか。告白と言祝ぎを続けながらの日々がゆるされていることは、それにしても僥倖である。


三○
むかし、男、はつかなりける女のもとに、

  あふことは玉の緒ばかりおもほえて
    つらき心のながく見ゆらむ

【訳】 
昔、男が思ふやうに逢へなかった《はつか=僅かな》女のところへ詠んでやった歌。

 逢ふことは玉の緒ばかりおもほえて
   つらき心の長く見ゆらむ
(あなたにお逢いする間は、飾り玉の玉と玉の間のように、ほんの僅かの間のやうに思はれて、逢えない間は、まるで玉を通す紐のように長く感じられます。そのせいでしょう、あなたのつれなさばかりがぼくの心に残ってしまいます)


三一
むかし、宮の内にて、ある御達の局のまへをわたりけるに、なにのあたにか思ひけむ、「よしや草葉よ、ならむさが見む」といふ。
男、
 つみもなき人をうけへば忘草
  おのがうへにぞ生ふといふなる
といふを、ねたむ女もありけり。

【訳】 
むかし宮中で男が、ある身分の高い女房の局の前を通った時、男をどんな恨みあるものに思ったのだらうか、「まあよい草葉よ、今は栄えていても後にはどんなに衰へるか。お前の本当の姿を見てやりませう」といふ。
そこで男は詠んだ。

 つみもなき人をうけへば忘れ草
  おのがうへにぞ生ふといふなる
〔罪も無い者を呪ふと、忘れ草が自分の上に生えて、人に忘れられると申しますよ〕

と詠んだのを聞いて、憎らしく思う女もいた。


三二
むかし、ものいひける女に、年ごろありて、
  古のしづのをだまきくりかへし
    昔を今になすよしもがな
 といへりけれど、なにとも思はずやありけむ。
 
【訳】 
昔、かつて関係を結んだ女に何年か経った後、男が

 いにしへのしづのをだまき繰りかへし
   昔を今になすよしもがな
(もう一度あなたと愛し合った昔の仲を、今に取り戻す手立てがあったらなぁ)

と詠んでやったが、
女は何とも思はなかったのか、何も言ってこなかった。


三三
むかし、男、津の国、菟原の郡にかよひける女、このたびいきては、又は来じと思へる気色なれば、男、
 芦辺よりみち来るしほのいやましに
   君に心を思ひますかな
返し、 
 こもり江に思ふ心をいかでかは
   舟さす棹のさして知るべき
田舎人のことにては、よしやあしや。 

【訳】 
昔、男が、津の国菟原の郡《芦屋市近辺》に住む女の所へ通っていた。この女は、男が今度帰って行ったらもう再び来るまい、と思っている様子だった。そこで男は、

 あしべより満ちくる潮のいやましに
   君に心を思ひますかな
(蘆が生えている岸辺にだんだんと満ちてくる潮のやうに、いよいよますますあなたを慕ふ心が深くなります)

と詠んでおくった。その返し歌。

 こもり江に思ふ心をいかでかは
   舟さす棹のさして知るべき
(人目に隠れた入り江のやうに、外にあらはれず心に深く想っています私の心を、あなたはだうして知ることができましょう。)

田舎者の歌としてはよい歌だろうか。まずまずの出来じゃないか。


三四
むかし、男、つれなかりける人のもとに、
 いへばえにいはねば胸に騒がれて
   心ひとつに嘆くころかな
おもなくていへるなるべし。

【訳】
昔、男が、すげなくされた女の所に、


 言へばえに言はねば胸に騒がれて
 
   心ひとつに嘆くころかな
(言おうとするほど言えず、でも言わなければ胸の中が騒いで、私の心の中だけで嘆く日が続いています)

と、よくもまあ、ずうずうしくも詠みおくったものである。


三五
むかし、心にもあらで絶えたる人のもとに、
  玉の緒を沫緒によりてむすべれば
   絶えてののちも逢はむとぞ思ふ
 
【訳】
昔、心ならずも関係が絶えてしまった人の所に贈った。
 

 玉の緒を沫緒によりてむすべれば
  
  絶えてののちも逢はむとぞ思ふ
(短い玉の緒を、沫緒〔切れにくく、解けやすいようにゆるく縒った紐〕の結び方で、結んであるのですから、一度切れても後で、必ず逢えることと思います)


三六
むかし、「忘れぬるなめり」と問ひ事しける女のもとに、

 谷せばみ峯まではへる玉かづら
  絶えむと人にわが思はなくに  

【訳】
昔、「もう私をお忘れなのかしらねえ」と問いかけてきた女の所に、歌を贈った。

 
  谷せばみ峯まではへる玉かづら
  
   絶えむと人にわが思はなくに
(谷が狭いから、山の峯までずっと生えている玉かづらのように、あなたととの仲が絶えようなどと、ぼくは決して思っていないのに)



三七
むかし、男、色好みなりける女に逢へりけり。
うしろめたくや思ひけむ、
 我ならで下紐解くな朝顔の
  夕影待たぬ花にはありとも
返し、
 ふたりして結びし紐をひとりして
  あひ見るまでは解かじとぞ思ふ  

【訳】
昔、男が多感で戀多き女性と出逢い戀仲になった。しかし素敵で戀多きひとであり、二人の将来のことを気がかりに思ったのだろう、男は次の歌を贈った。
 

 我ならで下紐解くな朝顔の 
  
  夕影待たぬ花にはありとも
(ぼく以外の人に下紐を解かないで下さいよ。あなたが朝顔のように夕暮れを待たない、繊細で変わりやすい花であっても)

女の返し歌。
 ふたりして結びし紐をひとりして
  
  あひ見るまでは解かじとぞ思ふ
(二人で一緒に結んだ紐ですから、あなたとお逢いするまでは、決して私一人で解くつもりはないと思っています)

【解】
<下紐を解く>=下袴の腰紐を自ら解けば、共寝を許したことになる。
<二人で一緒に結んだ紐>=愛しあった男女が衣ぎぬの別れの際、互いの腰紐を結び合い、真心を誓い合ったという風習。



三八
むかし、紀有常がり行きたるに、ありきて遅く来けるに、よみてやりける。
 君により思ひならひぬ世の中は
   人はこれをや戀問いふらむ
返し、
 ならはねば世の人ごとになにをかも
  戀とはいふと問ひし我しも

【訳】
昔、紀有常の所に行ったのだが、有常は外出中〔女性との逢瀬〕で遅く帰ってきたので、男は詠んで贈った。

 君により思ひならひぬ世の中は
   人はこれをや戀と言ふらむ
(君が教えてくれたこの想い。逢いたくても逢えないこの苦しき思い。世間の人は、これを戀というんですね)

 有常の返し歌。 
 
 ならはねば世の人ごとになにをかも
  
   戀とは言ふと問ひし我しも
(ぼくにはこれといった戀愛経験がないので、世間の人たちが一体何をさして戀というのかと、君に尋ねたことがあるくらいなのに、ぼくが教えたなんて……)
      
【解】
戀愛経験がないって? じゃ、さっきまで一体何処に行っていたんだよ、有常さんよ、なんて野暮なツッコミなしに、さらっと書き流す文章。風流です。


三九
むかし、西院の帝と申す帝おはしましりけり。その帝のみこ、崇子と申すいまそがりけり。そのみこうせ給ひて、御葬の夜、その宮の隣なりける男、いまそかり見むとて、女車にあひ乗りて出でたりけり。いと久しう率ていで奉らず。うち泣きてやみぬべかりけるあひだに、天の下の色好み、源至《みなもとのいたる》といふ人、これももの見るに、この車を女車と見て、寄り来て、とかくなまめくあひだに、かの至、蛍をとりて女の車に入れたりけるを、車なりける人、この蛍のともす火にや見ゆらむ、ともし消ちなむずるとて、乗れる男のよめる。
 出でていなばかぎりなるべみともしけち
   年へぬるかとなく声を聞け
かの至、返し、
 いとあはれなくぞ聞ゆるともしけち
   消ゆるものとも我は知らずな
天の下の色好みの歌にては、なほぞありける。至は順が祖父なり。みこの本意なし。

【訳】
昔、西院の帝という帝がおいでであった。その帝の皇女で崇子という方がいた。
その皇女がお亡くなりになった。まだ十九歳である。その御葬儀の夜、その宮邸の隣に住んでいた男《業平》が、御葬儀の列を見送るために、女車に女房と一緒に乗って出かけた。
ところが、かなり長い時間待っていたが、葬送車がなかなか出なかった。あきらかに女連れだとわかる牛車が長い間留まっているのも目立つし、お悔やみの心はそれとして、このまま列を見ずに帰ろうかと考えているところへ、誰かが近づいてきた。天下の好き者と評判の、源至《みなもとのいたる》だ。これも葬儀の見送りにきていたのだけれど、男が女車に乗っているのをからかってやろうと想ったのだろうか、近寄って来て、何かと気のあるそぶりをしているうちに、至は蛍を捕まえてきて女車に放り入れた。その光で、中にいる女の姿を見てやろうというのが至の魂胆だ。
 車に乗っていた女が、「この蛍の灯す火で私たちの姿を見られているかも知れない、この灯し火を消してしまいましょう」といって蛍を追い払って、あたりが暗さを取り戻した所で、乗っていた男《業平》が歌を詠んだ。

 出でていなばかぎりなるべみともし消ち
  
   年経ぬるかとなく声を聞け
(柩がお邸を出てしまえば、それが最後の別れとなるのですよ。決して長くはなかった彼女の命の火が消えてしまった事を、皆が哀しんで泣いている声が聞こえないのですか。)

 源至が返した歌。

  
  いとあはれ泣くぞ聞ゆるともし消ち
  
    消ゆるものとも我は知らずな
(ほんとに気の毒なことです、みなさんの泣く声は聞こえます。でも内親王の命の火が消えても皆の追慕の念が消えないように、蛍火を消したからといって車の中の女性への興味がなくなってしまうとは、私は思っていません)

 天下の好色男の歌にしては、平凡なうたであった。源至は後世のあの名歌人、源順《したがふ》の祖父なのである。これでは皇女のご葬儀も形無しだ。

◎【源至】《みなもとのいたる》=嵯峨天皇の孫。源定の子。歌人。
◎【源順】《みなもとのしたがう》=「梨壺の五人」の一人。九五一年に、梨壺(昭陽舎)に置かれた撰和歌所の五人の寄人(大中臣能宣・清原元輔・紀時文・坂上望城・源順)の一人である。後撰集の撰集と万葉集の付訓の任にあたった名歌人。



四○
むかし、若き男、けしうはあらぬ女を思ひけり。さかしらする親ありて、思ひもぞつくとて、この女をほかへ逐ひやらむとす。さこそいへ、まだ逐ひやらず。人の子なれば、まだ心いきほひなかりければ、とどむるいきほひなし。女もいやしければ、すまふ力なし。さる間に思ひはいやまさりにまさる。にはかに親この女を逐ひうつ。
男、血の涙をながせども、とどまるよしなし。率て出でていぬ。男泣く泣くよめる。
  いでていなば誰か別れのかたらぬ
    ありしにまさるけふは悲しも
とてよみて絶え入りにけり。親あわてにけり。なほ思ひてこそいひしか、いとかくしもあらじと思ふに、真実も絶え入りにければ、まどひて願立てけり。今日の入相ばかりに絶え入りて、又の日の戌の時ばかりになむ、辛うじていき出でたりける。
むかしの若人は、さる好けるもの思ひをなむしける。今の翁まさにしなむや。

【超訳】
ぼくにも初戀というものがあった。これはその話だ。

うちの家で召使をしていた女がいた。もちろんぼくより年上で、身分も低かったけれど、なかなかの美人でいい女だった。
ぼくは彼女の事を一途に想い続け、やがて彼女もぼくの気持ちに応えてくれた。
けれど、二人の関係をぼくの両親が喜ぶはずもない。
ぼくが本気にならないうちにと、彼女を家から出そうとした。
ぼくはまだ子供で何の力もなく、彼女にしても使用人の立場ではどうしようもなかった。ただお互いの想いばかりが日に日に強くなっていくなかりだった。そうするうちに、とうとう他家の人間が彼女を連れて出ていってしまった。
ぼくはその様子を目を真っ赤に泣き腫らしながら見送り、彼女の姿が見えなくなってからこんな歌を詠んだ

  いでていなば誰か別れのかたらぬ
  
    ありしにまさる今日は悲しも
(あの人が自らの意志で出ていったのならば、別れがつらいとはだれが申しましょう。以前にも辛いことは何度もありましたし。でも今日のこの悲しみは特別です。これほど悲しいことがこの世にあるだろうか)

と詠んで、バッタリと倒れ失神してしまった。その後の記憶はない。
親は大いに慌てた。我子のことを思ってあれこれ口出ししたのだが、まさか本当に死んでしまったとは信じられなかった。本当に気を失ってしまったから、狼狽し神仏願を立てたりして大騒動になった。その日の日没の頃に気を失って、次の日の午後八時頃に、かろうじて息を吹き返したという。昔は、こんな一途な愛を貫いた。年寄りになった今、果たして死ぬほどの戀ができるだろうか。


四一
むかし、女はらからふたりありけり。ひとりはいやしき男の貧しき、ひとりはあてなる男もちたりけり。いやしき男もたる、師走のつごもりに上の衣を洗ひて、手づから張りけり。志 はいたしけれど、さる賎しき業も慣はざりければ、上の衣の肩を張り破りてけり。む方もなくてたゞ泣きに泣きけり。これを、かのあてなる男聞きて、いと心苦しかりければ、いと清らかなる録衫の上の衣を見出でてやるとて、
  紫の色濃き時はめもはるに
   野なる草木ぞわかれざりける
武蔵野の心なるべし。 

【訳】
昔、二人の姉妹がいた。一人は身分の低い貧しい男を、もう一人は身分の高い男を伴侶に持っていた。身分の低い男を伴侶とした姉の女は、師走も末の頃に夫の上衣を洗って、自分で張った。一所懸命やったつもりだったが、このような賎しい仕事にも慣れていなかったから、上衣の肩を張る時にビリリと破ってしまった。その装束というのが一枚しかない正装用の袍だったからどうしようもない。途方に暮れ、ただただ泣いて泣いて泣くばかりであった。
これを妹の夫で身分の高い男《業平》が聞いて、大変気の毒に思い、とても奇麗な緑色の上衣を見つけ出し、その女に贈ったその時に、義姉にも義兄にも気を遣わせてはいけないと想って、歌も書き添えた、


 
 紫の色濃き時はめもはるに  
  
  野なる草木ぞわかれざりける
(紫草の色濃い時は、目も遥かに一面の緑は、野の草木の区別ができないものです、愛しい妻と義姉であるあなたとは同じなのです
)

 これは、武蔵野の歌である「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ思ふ(一本の紫草を愛するが故に、武蔵野に生える草は皆愛すべきものと思える)」を踏まえたものであろう。
 


四二
むかし、男色好みと知る知る女をあひ言へりけり。されど憎くはたあらざりけり。しばしばいきけれどなほいと後めたく、さりとて、いかではた得あるまじかりけり。なほはた得あらざりけるなかなりければ、二日三日ばかりさはることありて、えいかでかくなむ。
 出でて来しあとだに未だかはらじを
   誰が通ひ路と今はなるらむ
もの疑はしさに詠めるなり。

【訳】
 昔、男《業平》が多情な人と知りながらも、女と逢うようになった。しかし男はその女を憎いとは思わなかった。何度も通ったけれどまだ不安で、とはいってもとても通わずにはいられなかった。やはり通わざるを得ないほどの仲だった。なので、二、三日ほど都合が悪く行けなかったとき、このように詠んでおくった。
 
  
 出でて来しあとだに未だかはらじを
  
   誰が通ひ路と今はなるらむ
(私が家から出て来た、足跡だってまだそのままあるだろうに、一体誰が通う道と、今はなっているのだろう)

 女の気持ちが疑わしかったから、このように詠んだのだった。



四三
むかし、賀陽親王と申す親王おはしましけり。
その親王、女をおぼしめして、いと賢う恵みつかう給ひけるを、人なまめきて有りけるを、我のみと思ひけるを、又人聞きつけて、文やる。ほととぎすの形を書きて、
 ほととぎす汝が泣く里のあまたあれば
   なほ疎まれぬ思ふものから
といへり。この女、気色をとりて、
 名のみたつしでの田長はけさぞ鳴く
   庵あまた疎まれぬれば
時は五月になむありける。男返し、
 いほり多きしでの田長はなほ頼む
   わが住む里に声し絶えずは
もの疑はしさに詠めるなり。

【訳】
昔、賀陽親王という親王がいらした。その親王がお付の侍女が好きになり、彼女をとてもいとおしんでお使いなさった。〔じつは先段で、好きになった女性とはこの人のことだ〕。が、ある男がいて、その女に言い寄ってきた。この男は、彼女は自分一人だけを好いていると思いこんでいる純情なやつだった。そこで別の男《業平》がそれを聞いて、一応注意しておいてあげようと想って、女に手紙をおくった。別の男は、ほととぎすの絵を描いて、

 

 ほととぎす汝が鳴く里のあまたあれば
  
   なほ疎まれぬ思ふものから
(ほととぎすよ、お前が泣く里がたくさんあるから、やっぱりお前が嫌になってしまうよ、戀しいと思ってはいるものの)

と言った。彼女もぼくがいいたいことが分かったのだろう、機嫌をとって詠んだ。
 

 名のみ立つしでの田長は今朝ぞ鳴く
  
   庵あまた疎まれぬれば
(「死出」などと良くない名だけ立つ、「しでの田長」いやほととぎすは、今朝はひどく悲しんで鳴いています。住処が多すぎると、嫌われたので)

時節は五月のことだった。男は歌を返した。 

 庵多きしでの田長はなほ頼む
  
  わが住む里に声し絶えずは
(住処の多い「しでの田長」のホトトギスさんですが、それでもやっぱりぼくは貴女を信じて愛しています。ぼくの住む里に来て、絶えずその美しい歌声を聞かせて下さいますならば)〔無理に束縛しようとは思わない。
そんな事をしたら彼女の魅力がなくなるだけだから〕

渋い自制心で恬淡な大人を気取ってみたけれど、でもやっぱり自信もてず、歌を詠んでしまったな。
       


四四
むかし、県へゆく人に馬のはなむけせむとて、呼びて、疎き人にしあらざりければ、家刀自、盃さゝせて女の装束かづけむとす。主の男、歌詠みて、裳の腰に結ひつけさす。
 いでてゆく君がためにと脱ぎつれば
   我さへもなくなりぬべきかな
この歌は、あるがなかに面白ければ、心とゞめてよまず、腹に味はひて。

【訳】
昔、地方の任国へ国司として赴任する人に、送別の宴をしようということで、その人を招いた。親しくない人でもなかったので、その家の主婦が盃をすすめさせて、餞別に女性用の装束を贈ろうとする。それを見た主人の男が、歌を詠んで装束の裳の腰紐に結び付けさせる。

 
 出でてゆく君がためにと脱ぎつれば
  
   我さへもなくなりぬべきかな
(旅立つあたなのためにと脱いだ裳なのです。裳ならぬ喪がなくなって、私までも無くなってしまいそうです。
あなたがいなくなる頼りなさを思うと。)

 この歌は数多ある歌の中で特に面白いので、心の中で詠んで腹の中で味わうのがよい。
 


四五
むかし、男ありけり。人の娘のかしづく、いかでこの男にもの言はむと思ひけり。うちいでむこと難くやありけむ、もの病になりて死ぬべきときに、「かくこそ思ひしか」といひけるを、親聞きつけて、泣く泣く告げたりければ、まどひ来たりけれど、死にければ、つれづれと籠りをりけり。時は水無月のつごもり、いと暑きころほひに、宵はあそびをりて、夜は更けてやゝ涼しき風吹きけり。蛍高く飛びあがる。この男、見ふせりて、
 行く蛍雲の上までいぬべくは
   秋風吹くと雁に告げこせ
 暮れがたき夏のひぐらしながむれば
   そのことゝなくものぞ悲しき

【訳】
昔、男がいた。ある人の娘で、親に大切にされていた女が、どうしてもこの男にこの熱い思いを言おうと思った。しかし口に出して言うことが出来なかったからか、病気になってしまい、もう死ぬという時に、「こう思っていたのです」と言った。それを、親が聞いて泣く泣く男に告げたところ、男が急いで駆けつけた。しかし、その女は死んでしまったので、男は物思いに沈み、内にこもってしまった。  
 時節は六月の末の大変暑い時で、晩のうちは楽器を奏で、夜が更けから少し涼しい風が吹いてきた。蛍が高く舞い上がる。この男はそれを見て横になった。
 
 
 行く蛍雲の上までいぬべくは
  
   秋風吹くと雁に告げこせ
(飛んで行く蛍よ、雲の上まで行けるのなら、ここにはもう秋風が吹いていると雁に知らせて、来るようにして欲しいものだ)
      
 暮れがたき夏の日ぐらしながむれば
  
   そのことゝなくものぞ悲しき
(なかなか暮れようとしない、夏の日に一日中外を眺めていると、女が死んだことなのか分からないが、何となく悲しいものだ)
      


四六
むかし、おとこ、いとうるはしきともありけり。かた時さらずあひおもひけるを、人のくにへいきけるを、いとあはれと思て、わかれにけり。月日へてをこせたるふみに、あさましくえたいめんせで、月日のへにけること、わすれやしたまひにけむといたくおもひわびてなむ侍。世中の人の心は、めかるればわすれぬべきものにこそあれめ、といへりければ、よみてやる。
めかるともおもほえなくにわすらるゝ時しなければおもかげにたつ

【訳】
昔、男にはとても誠実な友がいた。一時の間でも離れることなく親しくしていたが、地方の国に行くことになって、大変悲しく思って別れたのだった。月日が経って、その友人が送ってきた手紙に、 

 「驚くほどに、あなたに逢えないまま月日が経ってしまいました。もうお忘れになってしまったのではなかろうかと、とても心細く思っています。世間の人の心というものは逢わないでいると忘れてしまうもののようですが。」
と書いてあったので、歌を詠んで送った。



 目離るともおもほえなくに忘らるゝ
  
   時しなければ面影にたつ
(あなたにお逢いしないでいるとは、私には思えません。忘れてしまう時がないので、あなたの姿がはっきりと見えます)
      

四七
むかし、男、懇にいかでと思ふ女ありけり。されど、この男をあだなりと聞きて、つれなさのみまさりつゝいへる。
 大幣《おおぬさ》のひく手あまたになりぬれば
   思へどこそ頼まざりけれ
返し、男、
 大幣《おおぬさ》と名にこそたてれ流れても
   つひによる瀬はありといふものを
  
【訳】
昔、男が一途に何とかして逢いたいと思う女がいた。しかし女は、この男が浮気者になったと噂に聞いて、冷淡ばかりが増した歌を詠んで送ってきた。 

 大幣の引く手あまたになりぬれば
 
   思へどこそ頼まざりけれ
(あなたは大幣のように、いろんな女の所に通って、引く手数多《あまた》になってしまいましたから、あなたを好きだと思っても、頼りにすることはできません)

 返しの歌を男が詠む。 


 
 大幣《おおぬさ》と名にこそ立てれ流れても 
  
   終に寄る瀬はありといふものを  
(大幣といわれ引く手あまただと評判のぼくですが、流された布がついには浅瀬に流れ着くように、ぼくも最後には君の所へたどり着くはずです)
     
※【大幣】大串につけた幣。大祓のときに用い、終ると人々がこれを引き
寄せて体をなで、罪や汚れを移す。「引き寄せる」から「引く手あまた」にかかる。
 自暴自棄のニヒリストになった業平、浮き名を流す日々ではあったが、しかし高子への思慕はひたすら深く、強く、静かに続いている。



四八
むかし、男ありけり。馬のはなむけせむとて、
人を待ちけるに、来ざりければ、
 今ぞ知る苦しきものと人待たむ
  里をば離れず訪ふべかりけり

【訳】
昔、男がいた。送別の宴をしよとうして、人を待っていたが来なかったので、

 

 今ぞ知る苦しきものと人待たむ
  
  里をば離れず訪ふべかりけり
(今こそ良くわかりました。人を待つのは苦しいものですね。
私も自分の事を待っている人のところへ無沙汰せず、まめに通っていくべきだと思いました)

と詠んだ。



四九
むかし、男、妹のいとをかしげなりけるを見をりて、
 うら若み寝よげに見ゆる若草を
  人の結ばむことをしぞ思ふ
と聞えけり。返し、
 初草のなどめづらしき言の葉ぞ
  うらなくものを思ひけるかな

【訳】
昔、男が妹のとても綺麗な姿をじっと見て、



 うら若み寝よげに見ゆる若草を
  
  人の結ばむことをしぞ思ふ
(とても若々しいので、寝てみたいように見える若草を、ほかの男が結ぶだろうと、とても気にかかります)

と申し上げた。返しの歌。 


 初草のなどめづらしき言の葉ぞ
 
  うらなくものを思ひけるかな
(初草のような、珍妙なお言葉をなぜおっしゃるのかしら。ただ無心に、あなたをお兄様と思っていたのに)

【解】
【聞えけり】=妹に対するこの敬語から、この妹とは、男《業平》より身分の高い異腹の妹のことか。業平は母・伊都内親王のただ一人の子だから妹はいない。
「一緒に寝ると気持ち佳いだろうな」という「寝よげ」を、「根よげ」だけでなく、楽器の「音よげ」もかけるとすると、『源氏物語』の「在五物語を絵に描いて、妹に琴を教える所」の意味にも通じる。



五○
かし、男ありけり。恨むる人を恨みて、
 鳥の子を十づゝ十は重ぬとも
  思はぬ人をおもふものかは
といへりければ、
 朝露は消え残りてもありぬべし
   誰かこの世を頼みはつべき
又、男、
 吹く風に去年の桜は散らずとも
   あな頼みがた人の心は
又、女、返し、
 ゆく水に数かくよりもはかなきは
   思はぬ人を思ふなりけり
又、男、
 ゆく水と過ぐるよはひと散る花と
  いづれ待ててふことを聞くらむ
あだ比べ、かたみにしける男女の、忍びありきしけることなるべし。

【訳】
昔、男がいた。男を恨む女を逆に恨んで、



 鳥の子を十づゝ十は重ぬとも
  
   思はぬ人を思ふものかは
(鳥の卵を、十ずつ十回重ねられても愛していない女を愛することなど、できるはずもない)

と男が言った。
 

 朝露は消え残りてもありぬべし
  
  誰かこの世を頼みはつべき
(はかない朝露は、消え残ることはあるかも知れません。でも、もっとはかない二人の仲は、一体誰が頼りにすることができるでしょうか)
      
また、男が、


 
 吹く風に去年の桜は散らずとも
  
   あな頼みがた人の心は
(もし、吹く風に、去年の桜は散らなかったとしても、絶対頼りにならないものですよ、女心というものは)

と言うと、また、女の返し歌は、

 

 行く水に数書くよりもはかなきは
 
   思はぬ人を思ふなりけり
(流れ行く水に、数を書くよりもあてにならないものは、愛してくれない男を愛することよ)

というものであった。
また、男が言う。 

 行く水と過ぐるよわひと散る花と
  
  いづれ待ててふことを聞くらむ
(流れ行く水と、過ぎ去る年齢と、散る花と一体どれが待てという言葉を、聞いているのだろう)

 浮気心の比べっこをやりあった男女が、人目を忍んで通じたことを、競って詠んだものであろう。




五一
むかし、男、人の前栽に菊植ゑけるに、
 植ゑしうゑば秋なき時や咲かざらむ
   花こそ散らめ根さへ枯れめや
(一所懸命に植えたなら、秋のない時節は、咲くことはないでしょうが、花は散っても、根まで枯れることはないでしょう)


五二
むかし、男ありけり。人のもとより、かさなり粽おこせたりける返り事に、
 菖蒲刈り君は沼にぞまどひける
  我は野に出でてかるぞわびしき
とて、雉子をなむやりける。

【訳】 
昔、男がいた。ある人のところから、「かさなり粽」〔粽《ちまき》を二つ重ねたもの。男女が重なっている姿を連想。当時、粽を菖蒲の葉っぱで巻いた〕を届けてきたので、その返事に、

 

 菖蒲刈君は沼にぞまどひける 
  我は野に出でて狩るぞわびしき
(菖蒲《あやめ》刈りに行かれ、あなたは沼で大変苦労なさったのですね。重なる粽のようになりたかったのでしょうが、私は野に出て狩りをしていました。残念でしたね)

と言って、雉子をおくったのだった。

【解】
雉子は頭を下にしてかくすが、尾は草むらから出ている。「頭隠して尻隠さず」。あなたの魂胆など見え見えですよの意味。



五三
むかし、おとこ、あひがたき女にあひて、物がたりなどするほどに、とりのなきければ、

 いかでかは鳥のなくらむ人しれず
   おもふ心はまだよふかきに

【訳】 
昔、男が簡単に逢えない女にやっとのことで逢って、寝物語しているうちに、一番鶏が鳴いたので、詠んだ。

 いかでかは鳥のなくらむ人しれず
   おもふ心はまだよふかきに
(どうしてもう鶏は鳴くんだろう。あなたをひそかに思うぼくの気持ちは、まだまだ深夜であり、この思いのたけを告白していないというのに)



五四
むかし、男、つれなかりける女に言ひやりける。
  行きやらぬ夢路を頼むたもとには
    天つ空なる露やおくらむ
〔貴女の処へは現実には到着できない夢路だけを、唯一の頼りとするぼくの袂に、天地自然は哀れんで、天空の露を贈った(置いた)のでしょうか、涙でぐっしょり濡れています〕



五五
むかし、男、思ひかけたる女の、え得まじうなりての世に、
  思はずはありもすめらど言の葉の
    をりふしごとに頼まるゝかな
  
【訳】 
昔、男が好きになった女が、とても自分のものにならないと分かってから、

 思はずはありもすめらど言の葉の
  
   をりふしごとに頼まるゝかな
(ぼくを愛してはくださらないでしょうが、貴女の言葉を聞くたびに、まだ脈があるのかなと望みを持ってしまいます)



五六
むかし、男、臥して思ひ起きて思ひ、思ひあまりて、
  わが袖は草の庵にあらねども
   暮るれば露の宿りなりけり

【訳】 
昔、男が、寝ては思い起きては思い、とうとう思いあまって詠んだ。
 
 わが袖は草の庵にあらねども
  
  暮るれば露の宿りなりけり
(私の袖は、草の庵ではないけれど、日が暮れてしまえば、露の宿となって、しっとり濡れています)   


五七
むかし、男、人知れぬ物思ひけり。つれなき人のもとに、
 戀ひわびぬあまの刈る藻に宿るてふ
   われから身をもくだきつるかな
  
【訳】 
昔、男が、人に知られない戀に苦悩した。お相手のつれない女の所に歌を贈った。

 戀ひわびぬ海人の刈る藻に宿るてふ
  
   我から身をもくだきつるかな
(あなたへの愛に、気力をなくしてしまいました。海人の刈る藻に付いているという、「わらかれ」のように、自ら我身を砕いてしまったからです )
※海草のワレカラに「我から(自ら)」をかけた。



五八
むかし、心つきて色好みなる男、長岡といふ所に家造りてをりけり。そこの隣なりける、宮ばらに、こともなき女どもの、田舎なれければ、田刈らむとてこの男のあるを見て、「いみじのすき者のしわざや」とて集りていり来れば、
この男、逃げて奥にかくれにければ、女、
 荒れにけりあはれいく世の宿なれや
   住みけむ人のおとづれもせぬ
といひて、この宮に集り来ゐてありければ、この男、
 葎おひて荒れたる宿のうれたきは
   かりにも鬼の集くなり
とてなむいだしたりける。この女ども、「穂ひろはむ」といひければ、
 うちわびて落穂ひろふときかませば
   我も田面にゆかましものを

【訳】 
昔、気のきいた好色家の男が、長岡という所に家を造って住んでいた。そこの隣にいた皇女様で、この上ない女たちがいたが、ここが田舎なので男が田を刈ろうとしているのを見て、「あら、風流な人のすることだわね」と言って集まって来たから、この男は逃げて奥に隠れてしまった。女が、



 荒れにけりあはれいく世の宿なれや
  
   住みけむ人のおとづれもせぬ
(荒れてしまっていますね、一体何代たった家なのでしょうか。住んでいる人が返事もしないのですかね)

と言って、この宮に集まってうろうろしていたので、この男は、

 
 葎おひて荒れたる宿のうれたきは
  
   かりにも鬼の集くなり
(葎が生い茂り、荒れたこの家の情けないことには、稲刈りしている時だけど、鬼がたくさん集まって騒がしいです)

と言って、その歌を女に差し出した。
してやられたこの女たちが、「じゃあ、落ち穂拾いをしましょうよ」と言ったので、男は詠んだ。
 

 うちわびて落穂ひろふときかませば
  
   我も田面にゆかましものを
(おちぶれて、落ち穂を拾うというのならば、私も田の辺りに、手伝いに行っただろうに)
      
      

五九
むかし、男、京をいかゞ思ひけむ。東山に住まむと思ひ入りて、
 住わびぬ今はかぎりと山里に
  身をかくすべき宿をもとめてむ
かくて、ものいたく病みて、死に入りければ、おもてに水そゝぎなどしていき出でて、
 わが上に露ぞ置くなる天の河
  門渡る船のかいのしづくか
となむいひて、いき出でたりける。

【訳】 
昔、男が京をどんな風に思ったのだろうか。東山に住もうと思い込んで、詠んだ。

 住わびぬ今はかぎりと山里に
  身をかくすべき宿をもとめてむ
(京は住みにくくなってしまったよ、もうこれが最後と山里に、我が身を隠す、家を探そう)

 こうして、男はひどい病気になって死んでしまったが、その顔に水をかけたりしたら、
 
 わがうへに露ぞおくなる天の河
   と渡る船のかいのしづくか
(天の川が、私の上に露を置いたよ、川門を渡る、船の櫂の雫だろうか)

と言って、息を吹き返したのだった。



六○
むかし、男ありけり。宮仕へいそがしく、心もまめならざりけるほどの家刀自、まめに思はむといふ人につきて、人の国へいにけり。この男、宇佐の使にていきけるに、ある国の祇承の官人の妻にてなむあると聞きて、「女あるじにかはらけとせよ。さらずは飲まじ」といひければ、かはらけ取りいだしたりけるに、肴なりける橘をとりて、
 さつき待つ花橘の香をかげば
   昔の人の袖の香ぞする
といひけるにぞ、思ひ出でて、尼になりて、山に入りてぞありける。

【訳】 
昔、男がいた。宮中での仕事が忙しく、妻への気持ちも誠実でなかった。その頃、この奥さんに言い寄る男があった。かれは「誠実なあなたを愛しています」と結婚を申し込んだ。そこで妻はこの人と一緒になり、彼に従って、他国に行ってしまった。
 さて先の男だが、宮中の用命にて宇佐八幡宮の使者として、ある国へ赴いた時のことだった。その国で外交役をする政府高官の妻が、かつての自分の妻だと噂に聞いて、意地悪な難題をふっかける。「女主人にかわらけ《※》をとらせよ。でなければ酒は飲まない」。そう言ったものだから、政府高官の奥さんは仕方なく、慇懃に伏しながら、この男にかわらけを取って差し出した。
 男は酒の肴として出ていた橘の実を手に取って、



 さつき待つ花橘の香をかげば
  
   昔の人の袖の香ぞする
(五月を待って咲く、花の橘の香りを嗅ぐと、昔契りあった人の、袖の香りがする)

と言った。女はこれを聞き、この男はもとの夫だと想い出し〔恥じ入り?〕、尼になって山寺に籠もって暮らしたのだった。

※「かはらけ」=素焼きの盃。「かはらけ取らせよ」とは、女性に酌をさせよの意味。

【解】
六二段にも通底する別離・再会のモチーフ。



六一
むかし、男、筑紫までいきたるに、「これは色好むといふすきもの」と簾のうちなる人の、いひけるを聞きて、
 染河を渡らむ人のいかでかは
   色になるてふことのなからむ
女、返し、
 名にし負はばあだにぞあるべきたはれ島
   浪の濡れ衣着るといふなり

【訳】 
昔、男が筑紫まで行った時に、「これは色好みの噂の風流人よ」と、簾の中に居る人が言ったのを聞いて詠んだ。


 そめ河を渡らむ人のいかでかは
 
  色になるてふことのなからむ
(染川を渡ろうとしている人が、どうして色に染まらないことがあるだろうか。みんな染まって、色好みになってしまいますよ)

 女の返し歌。
 
 
 名にしおはゞあだにぞあるべきたはれ島
 
   浪のぬれ衣着るといふなり
(その名の通りなら、本当にいいかげんですよ戯れ島は、いや、「たはれ島」《※》は。波に洗われて、波の濡れ衣を着ているというではありませんか、同じ様に染川も無実です)

※熊本県宇土市緑川の河口近くの有明海に見える無人島。現在は、たばこ島といわれ「風流島」と書く。



六二
むかし、年ごろおとづれざりける女、心かしこくやあらざりけむ。はかなき人の言につきて、人の国になりける人に使はれて、もと見し人の前にいで来て、物食はせなどしけり。「夜さり、このありつる人給へ」と主にいひければ、おこせたりけり。男、「我をば知らずや」とて、
 いにしへのにほひはいづら桜花
  こけるからともなりにけるかな
といふを、いとはづかしく思ひて、いらへもせでゐたるを、「などいらへもせぬ」といへば、「涙のこぼるゝに目もみえず、ものもいはれず」といふ、
 これやこの我にあふみをのがれつゝ
   年月経れどまさり顔なき
といひて、衣ぬぎて取らせけれど、すてて逃げにけり。いづちいぬらむとも知らず。

【訳】 
昔、何年も男が訪れなかった女が、あんまり賢くなかったのだろうか、いいかげんな人の言葉を真にうけて、地方に住んでいる人に使われることになり、元の夫の前に出て来て、食事の給仕などをした。男は「夜になったら、さっきのあの女を私の所によこして下さい」と主人に言ったので、主人は女をよこした。男が「私を忘れたか」と言って、


 
 いにしへのにほひはいづら桜花
  
  こけるからともなりにけるかな
(以前の美しい色艶は、一体どうしたのか桜の花よ。枯れた枝のように、みすぼらしい姿に、なってしまったではないか)

と言うのを聞いて、女はとても恥ずかしく思い、返事もしないで座っていた。
男が「なぜ返事もしないのか」と言うと、女は「涙がこぼれるので目も見えません、ものも言えません」と言う。 
 
 これやこの我にあふみをのがれつゝ
    
   年月ふれどまさり顔なき
(これがあの、私に逢うのがいやで近江を逃れた、年月は経ったけれど、前よりおちぶれた人なのか)

と言って、男は着物を脱いで女に与えたのだが、女はそれを捨てて逃げてしまった。一体どっちの方角に逃げて行ってしまったのだろう。


六三
むかし、世心づける女、「いかで心情けあらむ男にあひえてしがな」と思へど、言ひ出でむも頼りなさに、まことならぬ夢がたりをす。子三人を呼びて語りけり。二人の子は、情けなくいらへて止みぬ。三郎なりけむ子なむ、「よき御男ぞいでこむ」とあはするに、この女気色いとよし。「こと人とはいと情けなし。いかでこの在五中将にあはせてしがな」と思ふ心あり。狩しありきけるにいきあひて、道にて馬の口をとりて、「かうかうなむ思ふ」といひければ、哀れがりて、きて寝にけり。さてのち男見えざりければ、女、男の家にいきて垣間みけるを、男ほのかに見て、
 百歳に一歳たらぬつくも髪
  われを戀ふらしおもかげに見ゆ
とて、出でたつ気色を見て、茨からたちにかゝりて、家にきてうちふせり。男かの女のせしやうに、しのびて立てりてみれば、女嘆きて寝《ぬ》とて、
 さむしろに衣かたしき今宵もや
   戀しき人に逢はでのみ寝む
と詠みけるを、男あはれと思ひて、その夜は寝にけり。世の中の例として、思ふをば思ひ、思はぬをば思はぬものを、この人は、思ふをも思はぬをも、けぢめみせぬ心なむありける。

【訳】 
 昔、男女の情を心得た女が、どうかして優しい情け深い男に逢えたらいいのになあと思うけれど、そんなことを言い出そうとしても機会がないので、空想の夢物語をでっち上げた。三人の子供を呼んで語したのだった。
 上の二人の子は、冷淡な返事をしただたけであとは知らん顔をした。三男であった子だけが、「きっと素敵な男性が現れるでしょう」と調子を合わせたので、この女は機嫌がとても良い。三男は「他の人ではとても思いやりがない。どうにかして、あの在五中将に逢わせたいものだ」と思う気持ちがあった。在五中将が狩をしてまわっているのに行って会った。途中の道で馬の口を取って、「これこれの訳でこう思っています」と言ったのを、在五中将は不憫に思い、女のもとに来て一緒に寝たのである。その後男は姿を見せなかったので、女は男の家に行って物陰からのぞき見したが、男はその姿をチラッと見て、

 
 
 百歳に一歳たらぬつくも髪
  
  われを戀ふらしおもかげに見ゆ
(百歳に一歳足らないほどに年闌けた、つくも髪の女性が、ぼくを戀慕して下さっている、そのお姿が目にうかぶようです)

と言った。男が出かけようとする様子を見て、女は茨やカラタチの刺に引っかかりながら、あわてて家に戻って横になっている。男はその女がしたように、こっそりと外に立って見ていると、女は嘆き悲しんで寝ようとして、


 
 さむしろに衣かたしき今宵もや
  
   戀しき人に逢はでのみ寝む
(狭いむしろに衣を敷いて、今夜もまた、戀しい人に逢わないで、独りぼっちで寝るだけなのでしょうか)

と詠んだのを、男は不憫に思い、その夜は女と寝たのである。男女の仲の習慣として、好きな人を好きになり、好きでない人は好きになれないのだが、この人は好きな人でも好きでない人、差別せずに相手を思いやる優しい心があった。

【解】
『塵塚物語』の「かじけ猫」になった男が連想される。摂受(無差別海容精神)の発起現象なのか。だとすれば業平の〈神〉への変身譚か。


六四
むかし、男、みそかに語らふわざもせざりせば、いづくなりけむ、怪しさによめる。
 吹く風にわが身をなさば玉すだれ
   ひま求めつつ入るべきものを
返し、
 取りとめぬ風にはありとも玉すだれ
   誰が許さばかひもとむべき
  
【訳】 
昔、男がこっそりと契ることもしなかったので、女がどこにいるのか、不審に思って詠んだ。

 

 吹く風にわが身をなさば玉すだれ
  
  ひまもとめつゝ入るべきものを
(吹く風に、もしも私を変えことができるなら、玉すだれのすき間を探し出して、入ることができるのに)

 女の返し歌。

 
 とりとめぬ風にはありとも玉すだれ
  
   誰が許さばかひもとむべき
(手に捕らえられない、風であっても、玉すだれのすき間を、一体誰の許しで、探し出せるのでしょうか)



六五
むかし、おほやけおぼしてつかう給ふ女の、色ゆるされたるありけり。大御息所とていますがりけるいとこなりけり。殿上にさぶらひける在原なりける男の、まだいと若かりけるを、この女あひ知りたりけり。男、女方ゆるされたりければ、女のある所に来てむかひをりければ、女、「いとかたはなり。身も滅ぶなむ。かくなせそ」といひければ、
 思ふには忍ぶることぞ負けにける
  逢ふにしかへばさもあらばあれ
といひて、曹司におり給へれば、例の、このみ曹司には、人の見るをも知でのぼりゐければ、この女思ひわびて里へゆく。されば、何の、よきこととて思ひて、いき通ひければ、みな人聞きてわらひけり。つとめて主殿司の見るに、沓はとりて奥になげ入れてのぼりぬ。かくかたはにしつゝありわたるに、身もいたづらになりぬべければつひに滅びぬべしとて、この男、「いかにせむ。我がかゝる心やめ給へ」とてほとけ神にも申しけれど、いやまさりにのみ覚えつつ、なほわりなく戀しうのみ覚えければ、陰陽師、巫よびて、戀せじといふ祓の具してなむいきける。祓へけるまゝに、いとど悲しきこと数まさりて、ありしよりけに戀しくのみ覚えければ、
 戀せじと御手洗川にせしみそぎ
  神はうけずもなりにけるかな
といひてなむ往にける。
 この帝は顔かたちよくおはしまして、仏の御名を、御心に入れて、御声はいと尊くて申し給ふを聞きて、女はいたう泣きけり。「かゝる君に仕うまつらで、宿世つたなく悲しきこと、この男にほだされて」とてなむ泣きにける。
 かゝるほどに帝聞しめして、この男をば流しつかはしてければ、この女のいとこの御息所、女をばまかでさせて、蔵に籠めてしをり給うければ、蔵に籠りて泣く。
 あまの刈る藻にすむ虫の我からと
  音をこそなかめ世をばうらみじ
と泣きれば、この男、人の国より夜ごとに来つゝ、笛をいとおもしろく吹きて、声はをかしうてぞ、あはれにうたひける。かゝれば、この女は蔵に籠りながら、それにぞあなるとは聞けど、あひ見るべきにもあらでなむありける。
 さりともと思ふらむこそ悲しけれ
  あるにもあらぬ身を知らずして
と思ひをり。男は女しあはねば、かくしありきつゝ人の国にありきてかくうたふ。
 いたづらに行きては来ぬるものゆゑに
   見まくほしさにいざなはれつゝ
水尾の御時なるべし。大御息所も染殿の后なり。五条の后とも。

【訳】 
昔、帝《清和天皇》が可愛がってお使いになる女で、禁色《※》の着用を許された女がいた。大御息所《※※》と呼ばれていらっしゃた方の従妹《藤原高子(良房の兄・藤原長良の娘)》であった。殿上の間にお仕えしていた在原氏の一族の男で、まだとても若かった男と、この女は深い関係になってしまった。男は年少ということで、女官の部屋に出入りすることを許されていた。男は、女の住む所に来て向かい合って座っていたから、女は「とても見苦しいことです。身を滅ぼしてしまいます。もうこんなことはやめて下さい」と言ったので、男は

 

  思ふには忍ぶることぞ負けにける
  
   逢ふにしかへばさもあらばあれ
(あなたを慕う思いには、耐え忍ぶ心が負けてしまったのです。あなたにお逢いするのと交換に、二人の身の破滅も構いません)

と言って、女官部屋にお下がりになっていると、いつものようにこの部屋には、人が見ているのも平気で男が上がりこんで座っていたから、この女はつらい思いで実家に帰ってしまった。それで男は、これはかえって好都合だと思って、女のもとに行き通ったので、みんなはそれを聞いて笑った。
 
 その翌朝、主殿司の女官の見ている前で、男は外出していなかったように見せるために、沓を脱いで奥に投げ入れて殿上の間にのぼったのである。こうして見苦しい行為を繰り返しているうちに、自分もだめになってしまいそうになったので、遂には破滅してしまうに違いないと思って、この男は「どうしたらいいだろうか。私のこんな心を直して下さい」と仏や神にもお願いしたけれど、ますます思いは募るばかりで、やはりどうしようもなく戀しく思われるだけだった。 

 陰陽師や巫女を呼んで、戀はしないというお祓いの道具を持って出かけたのだった。お祓いをするにつれて、ますます悲しいことが何倍も増えて、今までよりもずっと戀しく思われたので、

 
 
 戀せじと御手洗川にせしみそぎ
  
  神はうけずもなりにけるかな
(もう戀はしないと、御手洗川でしたみそぎを、神は受けては下さらなかったよ、こんなに戀しいから)

と言って帰った。
 
この帝は、顔つきも姿もおきれいで、仏の名を心をこめて、とても尊い声でお唱えになるのを聞いて、女はひどく泣いた。「こんな立派な帝にお仕えしないで、前世からの因縁が悪く悲しいことです。この男にからまれて」と言って泣いたのだった。
 こうしているうちに、帝がこのことを耳にして、この男を流罪にされたので、この女の従姉の御息所は、女を宮中から退出させて、蔵に閉じこめてしっかりと折檻をなさったから、女は蔵にこもって泣いている。
 

 
 あまの刈る藻にすむ虫の我からと
  
  音をこそなかめ世をばうらみじ
(海人の刈る、藻に住む虫のワラカレのように、我からしたことを、声を出して泣くことはしても、あの人との仲は決して恨みません)

と泣いていると、この男は、流刑の国から毎晩やって来て、笛をとてもきれいな音で吹いて、魅惑的な声でしんみりと歌うのだった。こういう訳だから、この女は蔵にこもったままで、あの男がいるようだとは聞くが、逢って見ることなどできないまま時が過ぎていった。
 

  さりともと思ふらむこそ悲しけれ
  
   あるにもあらね身を知らずして
(それでもきっと逢えるだろうと、あの人が思っているのが、とても悲しいのです。あってもなくても同じ様な、私の境遇を知らないで)

と思って座っている。男は、女が逢わないので、このように、毎晩京に来ては笛吹き歌いながら、地方の国をさ迷ってこんな風に歌う。

 いたづらに行きては来ぬるものゆゑに
  
   見まくほしさに津ざなはれつゝ
(空しく、行っては帰ってくるものなのに。ただ逢いたいと思う気持ちに連れ添われて)

これは、水尾の帝《清和天皇》の治世の時のことであろう。大御息所《※※》という方もいるが、染殿の后《藤原明子》のことといい、また五条の后《藤原順子》ともいう。


※「禁色」=天皇・皇族専用の七色。赤・青・黄丹・梔・深紫・深緋・深蘇芳。特別扱いだったことを示す。
※※「大御息所」=帝の生母の女御や更衣のこと。清和親王の母は藤原明子(染殿后・文徳天皇の女御・藤原良房の娘)。

【解】
殿上人と、宮廷の姫との許されぬ戀愛事件の話は、歴史の裏に隠れて数多くあった。段の最後の文は、仁明、文徳、清和帝の時の出来事。読む人によって具体的例がどのようにも解釈できるようになっている。史実では、業平の兄の行平の女・文子が、更衣として入内して清和帝に仕えたとき、文子の弟・友于も同じ宮廷に仕えている。また、仁明天皇の時代の八四六年、十九歳の青年・藤原有貞が後宮の寵姫と秘密に通ったとして、常陸の国に流罪になっている。有貞の姉の美女・藤原貞子は、年下の従兄妹の仁明天皇の女御として入内したとき、一緒に末っ子の有貞もついていったらしい(金田元彦『伊勢物語私記』「伊勢物語の題名について」参照)。



六六
むかし、男、津の国にしる所ありけるに、兄弟友達ひきゐて、難波の方にいきけり。渚を見れば、舟どものあるを見て、
 難波津をけさこそみつの浦ごとに
   これやこの世を海わたる舟
これをあはれがりて、人々かへりにけり。

【訳】 
昔、男が、摂津の国に自分の領地があったので、兄弟や友達をひき連れて、難波の方に行った。波打ち際を見ると、舟が幾つもあるのを見て詠んだ。


 難波津をけさこそみつの浦ごとに
  
   これやこの世を海わたる舟
(難波津を、今朝初めて見たが、その御津の浦々に、浮かぶものがある。これが、海を、いや、この世を、渡る人生という舟なのです)

 この歌にしみじみと心を打たれて、人々は帰ったのだった。
 
【解】
人生達観のおもむきあり。業平変貌の徴候か。


六七
むかし、男、逍遥しに、思ひど親いつらねて、和泉の国へ如月ばかりにいきにけり。河内の国生駒山を見れば、曇りみ晴れみ、たちゐる雲やまず。あしたより曇りて、ひる晴れたり。雪いと白う木の末に降りたり。それを見て、かのゆく人のなかにたゞ一人よみける。
 昨日けふ雲のたちまひかくろふは
   花のはやしを憂しとなりけり

【訳】 
 昔、男が気ままな旅に、気心知れた親しい者同士と連れ立って、和泉の国に二月頃に行った。河内の国の生駒山を見ると、曇ったり晴れたり、立ち上がったり立ち込めたりする雲が次々にやって来る。朝から曇っていて、昼には晴れた。雪がとても白く木の梢に降っている。それを見て、さっきの一行の人たちのなかで唯一人歌を詠んだ。

 昨日けふ雲のたちまひかくろふは
   花のはやしを憂しとなりけり
(昨日も今日も雲が立ち舞って、山がずっと隠れていたのは、白い花のような雪の林を、人に見せたくないと、思ったからです)



六八
むかし、男、逍遥しに、思ひど親いつらねて、和泉の国へ如月ばかりにいきにけり。河内の国生駒山を見れば、曇りみ晴れみ、たちゐる雲やまず。あしたより曇りて、ひる晴れたり。雪いと白う木の末に降りたり。それを見て、かのゆく人のなかにたゞ一人よみける。
 昨日けふ雲のたちまひかくろふは
   花のはやしを憂しとなりけり
  
【訳】 
昔、男が和泉の国に行った。住吉の郡、住吉の里、住吉の浜を行く時に、景色がとてもきれいだったので、何度も馬から降りながら進んで行った。ある人が「住吉の浜の名を込めて詠みなさい」と言った。



 雁鳴きて菊の花さく秋はあれど
  
   春のうみべに住吉の浜
(雁が鳴いて、菊の花が咲く秋は素晴らしいが、春の海辺の住吉に住むのもよし)

と詠んだので、あまりの出来栄えに他の人は詠まないことにした。



六九
むかし、男ありけり。その男伊勢の国に、狩の使いにいきけるに、かの伊勢の斎宮なりける人の親、「常の使よりは、この人、よくいたはれ」といひやれりければ、親のことなりければ、いと懇にいたはりけり。朝には狩にいだし立ててやり、夕さりは帰りつゝそこに来させけり。かくて懇にいたづきけり。二日といふ夜、男、われて「あはむ」といふ。女もはた、いと逢はじとも思へらず。されど、人目しげければ逢はず。使実とある人なれば、遠くも宿さず。女の寝屋近くありければ、女、人をしづめて、子一つばかりに、男のもとに来たりけり。男はた寝らざりければ、外の方を見いだして臥せるに、月のおぼろなるに、小さき童を先に立てて、人立てり。男いとうれしくて我が寝る所に、率ていり、子一つより丑三つまであるに、まだ何事も語らはぬに、帰りにけり。男いと悲しくて、寝ずなりにけり。つとめていぶかしけれど、わが人をやるべきにしもあらねば、いと心もとなくて待ちをれば、明けはなれてしばしあるに、女のもとより言葉はなくて、
  君やこし我や行きけむおもほえず
    夢かうつゝか寝てか醒めてか
男いといたう泣きてよめる。
  かきくらす心の闇にまどひにき
    夢現とはこよひ定めよ
とよみてやりて、狩に出でぬ。
 野にありけれど心はそらにて、こよひだに人しづめて、いととく逢はむと思ふに、国守、斎宮のかみかけたる、狩の使ありと聞きて、夜ひと夜酒飲みしければ、もはら逢ひごともえせで、明けば尾張の国へたちなむとすれば、男も人知れず血の涙を流せどもえあはず。夜やうやう明けなむとするほどに、女方よりいだすさかづきの皿に、歌を書きていだしたり。とりて見れば、
  かち人の渡れどぬれぬ江にしあれば
と書きて、末はなし、
そのさかづきの皿に、続松の炭して歌の末を書きつぐ。
  またあふさかの関は越えなむ
とて、明くれば、尾張に国へ越えにけり。斎宮は水の尾の御時、文徳天皇の御むすめ、惟喬の親王の妹。

【訳】 
昔、男がいた。その男は伊勢の国に、狩の使いとしてに行った。その伊勢の斎宮だった人の親が、「いつもの勅使よりは、この人に丁重におもてなししなさい」と言ってあったので、女は親の言いつけだったので、とても手厚くもてなしたのだった。
 朝には狩に行く支度をして送りだし、夕方には男が帰りつくと自分の屋敷に来させた。こうして細かい配慮を配って世話をした。
 そして二日目の夜、男は、心が惑乱し、「今夜どうしても逢いたい」と言う。女ももちろん、決して逢いたくないと思ってはいなかった。しかし、人目が多いので逢うこともままならない。この男は使者の中でも中心メンバーだったので、そんなに遠い場所に泊める事ができない。女の寝所の近くに彼の宿舎はあったので、女は人が寝静まるを待って、午後十一時頃に男のもとに来た。
 
 男は悶々として寝られなかったので、外の方を見ながら横になって寝ていた。すると、月光のおぼろげな中に、小さな女の子を先に立てて、かの女性が立っている姿が見えた。男はとても嬉しくて、かの女を寝所に連れて入り、午前二時頃まで一緒にいた。でもなにも話はしないうちにもう、女はうちに帰ってしまった。こんな歌を残して。

 君やこし我や行きけむおもほえず
   夢かうつゝか寝てか醒めてか
(あなたがおいでになったのか、私がうかがったのか、よく分かりません。夢なのか現実なのか、寝ている時か、目覚めている時なのか)

 男は激しく泣いた。そして詠んだ。
 
 
 かきくらす心の闇にまどひにき
  
   夢現とはこよひ定めよ
(悲しみに暮れる私の心の、闇の中で心が乱れてしまいました。夢なのか現実なのか、今夜おいでになって、はっきりして下さい)

と詠んで送ってから、狩りに出かけた。 
男は、野の中には居たけれど心は空っぽで、今夜人が寝静まったら、すぐに逢おうと思っていた。しかし、伊勢の国守で、斎宮寮の長官でもある人が、狩りの使いが来ていると聞いて、その夜は一晩中酒を飲み明かしたので、全く逢うこともできなかった。夜が明ければ尾張の国へ出発する予定になっていたから、男の方も秘かに血の涙を流したけれど、だがとうとう二人きりでは逢えなかった。夜がそろそろ明けようとする頃に、女の方から差し出す盃の皿に、歌を書いてさし出した。手に取って見ると、

  

 かち人の渡れどぬれぬ江にしあれば
(徒歩で行く人が渡っても、濡れもしない江であったから、とても浅いご縁でした)

と書いてあったが、下の句はない。その盃の皿に、松明の炭で歌の下の句を書き足した。
  
 またあふさかの関は越えなむ
(また逢坂を越えて、再びあなたとお逢いしましょう)

ということで、夜が明けると尾張に国へと国境を越えて行ったのだった。
 斎宮とは清和天皇の御代の方、すなわち、文徳天皇の御娘《恬子内親王※》、惟喬の親王の妹にあたる人のことであった。


※「文徳天皇の御娘」とは恬子内親王(「内」は女性を表す)。母は、紀名虎の娘の静子、惟喬親王と同母の妹。清和天皇の義姉。紀名虎の子息・有常の娘は、業平の最初の妻。だから、恬子内親王はいとこになる。

【解】
この六九段が、『伊勢物語』の名の由来となっている。  
むろんこれは単なる戀物語ではない。大事件が記されている。戀の相手は天皇の娘である。当時の政治状況下では、大変不都合な事実がしかも初っ端に書き始めてあった。後世に編纂を行い、今のような曖昧な文章になったようだ。 

 密通の相手は文徳天皇の皇女・恬子《やすこ》内親王、惟喬親王の妹である。彼女の母は紀静子(その兄が紀有常。その娘は業平の妻)。身内であるから、「普段より、よくおもてなしなさい」と、母が手紙を送ったのを、恬子《やすこ》は「もてなし」の意味を勘違いし、甘い甘い一夜を過ごした。月光の中に現れた斎宮と、言葉を交わす間もなく、二時間半の夢のような愛の時間が過ぎた。「夢か現か」のイメージは、次の二段に続く。
 この密通によって、恬子内親王は高階師尚を産む。この事実を、業平は知らなかったらしい。



七○
むかし、二条の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、氏神にまうで給ひけるに、近衛府にさぶらひける翁、人々の禄たまはるついでに、御車より給はりて、よみて奉りける。
 大原やをしほの山も今日こそは
   神代のことも思ひいづらめ
とて、心にもかなしと思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし。 

【訳】 
昔、男が狩りの使いから京に帰って来る途中に、大淀の渡りに泊まって、斎宮に仕える女の子に歌を詠みかけた。

 みるめかるかたやいづこぞ棹さして
  
   われに教へよあまの釣舟
(ミルメを苅る潟はどこにあるのですか、方角を舟の棹でさして、私に教えて下さいな、海人の釣り舟よ)
       
       
七一
むかし、男、伊勢の斎宮に、内の御使にて、まゐれりければ、かの宮にすきごといひける女、私事にて、
 ちはやぶる神のいがきも越えぬべし
   大宮人の見まくほしさに
男、
 戀しくは来ても見よしかしちはやぶる
   神のいさなむ道ならなくに
  
【訳】 
昔、男が、伊勢の斎宮に、帝内の勅使として参上していたところ、その斎宮の御所で好き者の女官が、彼女自身の事として、



 ちはやぶる神のいがきも越えぬべし
  
   大宮人の見まくほしさに
(越えてはいけない神聖な垣根も、越えてしまいそうです。都の宮中から来られた、あなたにどうしても逢いたくて)

男の返し歌。
 

 戀しくは来ても見よしかしちはやぶる
  
   神のいさなむ道ならなくに
(本当に戀しいと思っておいでなら、ほら来て逢ってごらんなさいよ。戀路というのは神が禁じられる、そんな道ではないのだから)

      
      
七二
むかし、男、伊勢の国なりける女、又、えあはで、隣の国へいくとて、いみじう怨みければ、女、
 大淀の松はつらくもあらなくに
  うらみてのみもかへる波かな

【訳】 
昔、男が、伊勢の国に住んでいた女に、もう一度逢いたいと思っていたのに、二度と逢えないまま隣の国に仕事で行かなくてはならなくなってしまった。逢ってくれない女を男は大変恨んだので、女は詠んだ。


 大淀の松はつらくもあらなくに
  
  うらみてのみもかへる波かな
(大淀の松は、いえ私は、辛い仕打ちをした訳でないのに、ただ浦を見ているだけで、寄せては返る波のように、あなたは帰ってしまわれるのですね)
       


七三
むかし、そこにはありと聞けど、せうそこをだにいふべくもあらぬ女のあたりを思ひける。
 目には見て手にはとられぬ月のうちの
   桂の如き君にぞありける
  
【訳】 月の桂
 昔、そこにいると聞いてはいたが、その消息をさえ言うことができない高貴な女性を戀い焦がれていたことがある。
 
 目には見て手にはとられぬ月のうちの 
   桂のごとき君にぞありける
(目には見えていますが、手に取ることのできない月の中にあるという、光り輝く桂の木のようなあなたであることだ)

【解】
「月の桂」は、月に生えていると考えられていた伝説の大樹。『古今和歌集』にはこうある。

 久方の月の桂も秋はなほ
  もみぢすればや照りまさるらむ
     (「秋歌上」・壬生忠岑)
(月にある桂の木も秋になればやはり色づくためか、明るさを増しているようだ)


七四
むかし、男、女をいたう怨みて、
 岩根ふみかさなる山にはあらねど
  逢はぬ日おほく戀ひわたるかな

【訳】 
昔、男が女をひどく怨んで歌を詠んだ。

 岩根ふみかさなる山にはあらねど
  
  逢はぬ日おほく戀ひわたるかな
(私達の間に立ちはだかるのは、岩根を踏んで行くような、重なる山ではないけれど、私に逢って下さらない日が多く、戀しく思い続けるのです)



七五
むかし、男、「伊勢の国に率ていきてあらむ」といひければ、女、
 大淀の浜に生ふてふみるからに
   心はなぎぬかたらはねど
といひて、ましてつれなかりければ、男、
 袖ぬれてあまの刈りほすわたつ海の
   みるを逢ふにてやまんとする
女、
 岩間より生ふるみるめしつれなくは
   汐干汐満ちかひもありなむ
また男、
 涙にぞぬれつゝしぼる世の
  つらき心は袖のしづくか
世にあふことかたき女になむ。 

【訳】 
昔、男が「伊勢の国に一緒に行って、そこで暮らそう」と言ったところ、女は、

 

 大淀の浜に生ふてふみるからに
  
   心はなぎぬかたらはねど
(大淀の浜に生えているという、ミルではありませんが、私はあなたを見るだけで、心は穏やかになりますよ、契りあわなくても)

と言って、以前にも増して冷淡であったから、男は詠む。


 袖ぬれてあまの刈りほすわたつ海の
  
   みるを逢ふにてやまんとする
(袖を濡らして、海人が刈って干している海のミルのように、見ることを逢うことに代えて、あたなはもう終わりにしようというのですか)

女は、

 岩間より生ふるみるめしつれなくは
  
   汐干汐満ちかひもありなむ
(岩間から生えるミルメが、そのまま変わらずあったならば、潮が引いても満ちても、きっと貝の付くことがあるでしょう)

と。また男が、

 涙にぞぬれつゝしぼる世の
  
  つらき心は袖のしづくか
(涙に濡れながら、袖を絞っています。あなたの中の冷淡な心は、私の袖のしづくのようです)

と詠んだ。世にも逢うことのむつかしい女であった。

【解】
 以上で伊勢シリーズ終了。このあたりが第二ステップへの分岐点か。
 
 

七六
むかし、二条の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、氏神にまうで給ひけるに、近衛府にさぶらひける翁、人々の禄たまはるついでに、御車より給はりて、よみて奉りける。
 大原やをしほの山も今日こそは
   神代のことも思ひいづらめ
とて、心にもかなしと思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし。 

【訳】 
昔、二条の后がまだ春宮《皇太子》の御息所《母親》といわれていた時、藤原氏の氏神に御参拝になる折に、近衛府にお仕えしていた老人《※》が、お供の人たちが褒美を戴くついでに、御息所の御車から直に戴だいて、詠んで奉った。



 大原やをしほの山も今日こそは
  
   神代のことも思ひいづらめ
(大原の小塩の山も、今日のこの日こそは、先祖の神が、遠い神代の昔のことも、思い出していることでしょう)

と言って、老人は心の中で、業平と高子との昔の戀を悲しいと思っただろうか、どのように思っただろうか、それは分からない。
※【老人】=在原業平のこと。この参詣は、春宮が立太子した869年説(業平45)と、業平が右近衛中将となった875年(業平51)説がある。

【解】
 老人となった業平が登場する。近衛府(皇居警護庁)の高官としての再登場である。過ぎし日の高子との悲戀を追想する。それを哀しいとみるのだろうかと謎かけをして、第二ステップが開始する。
 


七七
むかし、田村の帝と申す帝おはしましけり。その時の女御、多賀幾子と申すみまそかりけり。それ失せ給ひて、安祥寺にて、みわざしけり。人々さゝげもの奉りけり。奉りあつめたるもの千棒ばかりあり。そこばくのさゝげものを木の枝につけて堂の前にたてたれば、堂の前にたてたれば、山もさらに堂の前にうごき出でたるやうに見えける。それを、右大将にいまそかりける藤原常行と申すいまそかりて、講の終るほどに、歌を詠む人々を召しあつめて、けふのみわざを題にて、春の心ばへある歌を奉らせ給ふ。右馬頭なりける翁、目はたがひながらよみける。
 山のみなうつりて今日に逢ふことは
   春の別れをとふとなるべし
とよみたるけるを、いま見ればよくもあらざり。そのかみはこれやまさりけむ、あはれがりけり。

【訳】 
昔、田村の帝という帝がいらした。その時の女御で、多賀幾子という方がいらした。その方がお亡くなりなったので、安祥寺にて御法要を営んだ。たくさんの人が、木の枝に付けた捧げ物をお供えをした。お供えした捧げ物は千棒げほどであった。そんなにたくさんの捧げ物を木の枝にくくり付けて堂の前に立ててあるので、新しく山が堂の前に移動したように見えたのであった。それを右大将でいらした藤原常行という方がいらっしやって、経文の講義の終る頃に、歌を詠む人たちをお集めになり、今日の御法要を題として、春の趣のある歌を奉らせになった。すると右の馬頭という老人が、老眼のためか捧げ物の山を本当の山と間違えたまま詠んだのでした。


 山のみなうつりて今日に逢ふことは
  
   春の別れをとふとなるべし
(山がみなここに移動して、今日の御法要に逢うということは、女御様と春との別れを、弔おうというつもりでしょう)

 今みると、そんなに良くもなかった。その当時はこれが優れていたのだろうか、みな深く感動したのであった。
 


七八
むかし、多賀幾子と申す女御おはしましけり。失せ給ひて、なゝ七日のみわざ安祥寺にてしけり。右大将藤原常行といふ人いまそかりけり。そのみわざにまうで給ひてかへさに、山科の禅師の親王おはします、その山科の宮に、滝落し、水走らせなどして、おもしろく造られたるに、まうで給うて、「年ごろよそにはつかうまつれど、近くはいまだつかう間つらず。こよひはこゝにさぶらはむ」と申し給ふ。親王よろこび給うて、夜のおましの設けさせ給ふ。さるに、かの大将出でてたばかり給ふやう、「宮仕への初めに、たゞなほやはあるべき。三条の大行幸せし時、紀の国の千里の浜にありける、いとおもしろき石奉れりき。大行幸ののち奉れりしかば、ある人の御曹司のまへに溝にすゑたりしを、島好む君なり、この石を奉らむ」とのたまひて、御随身、舎人してとりにつかはす。いくばくもなくて持てきぬ。この石聞きしよりは見るはまされり。「これをたゞに奉らばすゞろなるべし」とて、人々に歌よませ給ふ。右馬頭なりける人のをなむ、青き苔をきざみて蒔絵のかたに、この歌をつけて奉りける。
 あかねども岩にぞかふる色見えぬ
   心を見せむよしのなければ
となむよめりける。

【訳】 
昔、多賀幾子という女御がおいでになった。その方がお亡くなりになって、四十九日の御法要を安祥寺で行なった。右大将の藤原常行という人がいらっしゃった。その御法要に参拝なさって、その帰りに、山科の禅師の親王のおいでになる。その山科の宮に、滝を落し、水を流させたりして、趣深く造られたる邸に、参上なさり、「長年、他所でお仕えいたしていまして、お側ではまだお仕えいたしていません。今夜はここでお相手をいたしましょう」と親王に申しあげなさる。親王は喜びになり、夜の御寝所を用意をおさせになる。そうしているうちに、その大将が御前から下がっていろいろと工夫をめぐらすには、「親王にお仕えする初めに、ただ何もしないではいられない。父の三条の邸に大行幸《※》があった時、紀の国の千里の浜にあった、大変見事な石を献上したことがありました。ところが大行幸の後で献上したので、不要になってしまいある人の部屋の前の溝に置いておいたのだが、この親王は泉水や築山のしゃれた庭を好む人だったので、この石を献上しよう」とおっしゃって、御随身《近衛府の官人》や舎人に命じて石を取りにこさせた。まもなく石を持って帰って来た。
この石は前に聞いたよりは目で見るほうがずっとすぐれていた。「これをそのままで差し上げるのでは何ともつまらないだろう」ということで、お供の人みなに歌をお詠ませになる。右の馬頭であった人の歌を、石の表面の青い苔を刻んで蒔絵の模様のように、石にこの歌を付けて献上したのだった。



 あかねども岩にぞかふる色見えぬ
    
   心を見せむよしのなければ
(満足していないけれども、岩に私の気持ちを代えさせます。色には見えない私の心を、お見せする術がございませんので)

※【三条の大御幸】 八六六年三月二三日、西京・三条の右大臣・藤原良相(常行の父)の百花苑へ、清和天皇の行幸があった。桜の花を観賞し、文人が詩歌を作った。多賀幾子七十七忌の七年後のことである。



七九
むかし、うぢのなかにみこうまれたまへりけり。御うぶやに人々うたよみけり。御おほぢがたなりけるおきなのよめる。
わがゝどにちひろあるかげをうへつればなつふゆたれかゝくれざるべき
これはさだかずのみこ、時の人、中将のことなむいひける。あにの中納言、ゆきはらのむすめのはら也。

【訳】 
昔、在原氏一族の中に、親王がお生まれになったことがある。御産屋で人々が歌を詠んだ。親王の御祖父の血縁者の老人《業平・当時五一歳》が歌を詠んだ。


 我が門に千尋ある陰を植えゑつれば
 
  夏冬たれか隠れざるべき
(我が家の門に、千尋もの長さの陰のある竹を植えてあるので、夏も冬も、誰が竹の下に隠れないものがあるでしょうか、みんなそのお蔭をこうむるでしょう)

これは貞数の親王のことである。当時の人は中将業平の子だと噂した。業平の兄の中納言行平の娘がお生みした親王である。



八○
むかし、おとろへたるいへに、ふぢのはなうへたる人ありけり。やよひのつごもりに、その日あめそぼふるに、人のもとへおりてたてまつらすとてよめる。
ぬれつゝぞしゐておりつる年の内にはるはいくかもあらじと思へば

【訳】 
昔、家勢の衰えた家《在原氏を暗示》に、藤の花を植えていた人がいた。三月の末頃のその日は雨がシトシトと降っていたが、ある人の所へその藤を折って差し上げようとして詠んだ。


 ぬれつゝぞしひて折りつる年のうちに

   春はいくかもあらじと思へば
(雨に濡れながら、この花を折りました。今年のうちに、春はもう何日もないと思いますので)

【解】
「おとろえたる」在原氏の庭に植えてある藤を、栄えたる「藤原氏」の代わりに無理矢理引き折った。


八一
むかし、左の大臣《おほいまうちぎみ》いまそかりけり。賀茂川のほとりに、六条わたりに、家をいと面白く造りて住み給ひけり。神無月のつごもりがた、菊の花うつろひさかりなるに、紅葉の千種に見ゆる折、親王たちおはしまさせて、夜ひと夜、酒のみし遊びて、夜あけもてゆくほどに、この殿のおもしろきをほむる歌よむ。そこにありけるかたゐ翁、だいしきの下にはひありきて、人にみなよませ果ててよめる。
 塩釜にいつか来にけむ朝凪に
  釣りする舟はこゝによらなむ
となむよみけるは、みちの国にいきたりけるに、あやしくおもしろき所おほかりける。わが帝六十余国の中に、塩釜といふ所に似たるところなりけり。さればなむ、かの翁、さらにここをめでて、「塩釜にいつか来にけむ」とよめりける。

【訳】 
昔、左大臣《源融・みなもとのとおる※》がおいでになった。賀茂川のほとりの六条のあたりに、邸を大変風流に造って住んでおられた。十月の末頃、菊の花が美しく色変わりしている上に、紅葉が千種もの色ほどに見事に見える折、親王たちにおいでいただいて、一晩中酒を飲み管弦を楽しんで、夜も次第に明けてゆく頃に、この邸のすばらしい風流をほめる歌を詠んだ。すると、そこにいたみすぼらしい老人《乞食しじい。業平を暗示》が、台敷きの下に這いずり回って、人々がみんな詠み終わるのを待って、



 塩釜にいつか来にけむ朝凪に
  
  釣りする舟はこゝによらなむ
(塩釜に、いつの間に来てしまったのか。朝凪の海で釣りをする舟は、この庭に寄ってほしいものです)

と詠んだのは、昔、陸奥の国に行ったことがあったが、不思議に風景のよい所が一杯あったからであった。我が国六十余国の中に、塩釜に似ている所は、他にはないほど素晴らしかった。そういう訳だからこそ、この老人はことさらにここを誉めて、「塩釜にいつの間に来てしまったのか」と詠んだのである。

※【源融】 謡曲「融」や、賀茂川の西にあった六条河原院で有名。嵯峨天皇の第十二皇子として生まれながら運悪く、親王とはなりえず、源氏として臣下に下った。業平とともに仁明天皇と深い結びつきがあった。





八二
むかし、惟喬の親王と申す親王おはしましけり。山崎のあなたに、水無瀬といふ所に宮ありけり。年ごとの桜の花ざかりには、その宮へなむおはしましける。その時右馬頭なりける人を常に率ておはしましけり。時世へて久しくなりにぬれば、その人の名忘れにけり。狩は懇にもせで酒をのみ飲みつゝ、やまと歌にかゝれりけり。いま狩する交野の渚の家、その院の桜いとおもしろし。その木のもとにおりゐて、枝を折りてかざしにさして、かみ、なか、しも、みな歌よみけり。馬頭なりける人のよめる。
 世の中に絶えて桜のなかりせば
   春の心はのどけからまし
となむよみたる。また、人の歌、
 散ればこそいとゞ桜はめでたけれ
   うき世になにか久しかるべき
とて、その木の下はたちてかへるに、日暮になりぬ。御供なる人、酒をもたせて、野より出できたり。この酒を飲みてむとて、よき所を求め行くに、天の河といふ所にいたりぬ。親王に馬頭おほみきまゐる。親王ののたまひける、「交野を狩りて、天の河のほとりにいたる題にて、歌よみて杯はさせ」とのたまうければ、かの馬頭よみて奉りける。
 狩り暮らしたなばたつめに宿からむ
   天の河原に我は来にけり
親王歌をかへすがへす誦じ給うて返しえし給はず。紀有常御供に仕うまつれり。それがかへし、
 一年にひとたび来ます君まてば
   宿かす人もあらじとぞ思ふ
かへりて宮に入らせ給ひぬ。夜ふくるまで酒飲み物語して、あるじの親王、ゑひて入り給ひなむとす。十一日の月もかくれなむとすれば、かの馬頭のよめる。
 あかなくにまだきも月のかくるゝか
   山の端にげて入れずもあらなむ
親王にかはり奉りて、紀有常、
 おしなべて峯もたひらになりななむ
   山の端なくは月もいらじを

【訳】 
昔、惟喬の親王という親王がおいででした。山崎の向こうの、水無瀬という所に宮がありました。

毎年の桜の花盛りの頃には、その宮においでになった。その時には右の馬頭であった人をいつも連れておいでになった。その時から長い時が経ったので、もうその人の名も忘れてしまいました。鷹狩りには気合いを入れないで、酒ばっかし飲んでは、和歌に熱中していた。
今、狩をしている交野の渚の家の院の桜がとても趣がある。その木の下に馬から降りて腰掛けて、その枝を折って髪に差して、一行の上、中、下の身分の者がみんな歌を詠んだ。
 馬頭であった人が詠んだ歌。
 


 世の中に絶えて桜のなかりせば
  
   春の心はのどけからまし
(この世の中に、全く桜がないとしたならば、春の私の心は、なんとのどかであろうか)

と詠んだのだった。また、もう一人の歌、



 散ればこそいとゞ桜はめでたけれ
  
   うき世になにか久しかるべき
(散るからこそ、ますます桜は素晴らしいのです。このつらい世に、一体何が変わらずに、いるというのだろうか)

と詠んで、その木の下を立って帰るうちに、日暮になった。そこにお供の人が、従者に酒をもたせて、野原の中から出てきた。この酒を飲もうとして、適当な所を探して行くと、天の川という所に着いた。
 親王に馬頭がお酒を差し上げる。親王がおっしゃるには、「交野で狩りをして、天の川のほとりに着いたという題として、歌を詠んでから盃を差しなさい」とおっしゃったので、この馬頭が詠んでさしあげた。

 
  狩り暮らしたなばたつめに宿からむ
  
    天の河原に我は来にけり
(日暮れまで狩りをして、織女に今夜の宿を借りよう。天の川という川原に、私は来ていたのでした)

親王は歌を何度も繰り返して口ずさみ、あまりの出来栄えに返歌をかえすことができない。ちょうど紀有常がお供に付添いをしていた。その有常の返歌、
 
 
 一とせにひとたび来ます君まてば
  
   宿かす人もあらじとぞ思ふ
(織女は一年に、たった一度だけおいでになる、彦星を待つのだから、ほかに宿を貸してくれる人など、絶対にないと思いますよ)

親王は、水無瀬に帰って宮にお入りになった。夜の更けるまで酒を飲み、よもやま話しをして、御主人である親王は、酔って寝所にお入りになろうとする。その時、11日の月も隠れようとするので、この馬頭が歌を詠んだ。

 あかなくにまだきも月のかくるゝか
  
   山の端にげて入れずもあらなむ
(まだ心ゆくまで見ていないのに、こんなに早く月が隠れるのか。山の端が逃げて、月を入れないでほしいものです)

親王にお代わり申しあげて、紀有常が詠んだ。


 おしなべて峯もたひらになりななむ
  
   山の端なくは月もいらじを
(どこもかも一様に、峰も平らになってほしいものだ。山の端がなかったならば、月も入りはしないから)
      
      

八三
むかし、水無瀬にかよひ給ひし惟喬の親王、れいの狩しにおはします供に馬頭なる翁つかうまつれり。日ごろへて宮にかへり給うけり。御送りしてとくいなむと思ふに、おほきみたまひ禄賜はむとて、つかはさざりけり。この馬頭心もとながりて、
 枕とて草ひき結ぶこともせじ
  秋の夜とだにたのまれなくに
とよみける。時はやよひのつごもりなりけり。みこ大殿籠らであかし給うてけり。かくしつゝまうで仕うまつりけるを、思ひのほかに、御髪おろし給うてけり。正月にをがみたてまつらむとて、小野にまうでたるに比叡の山のふもとなれば、雪いとたかし。しひて御室にまうでてをがみたてまつるに、つれづれといとものがなしくておはしましければ、やゝ久しくさぶらひて、いにしへのことなど思ひ出で聞えけり。さてもさぶらひてしがなと思へど、公事どもありければ、えさぶらはで、夕暮にかへるとて、
 忘れては夢かぞとおもふ思ひきや
   雪ふみわけて君を見むとは
とてなむ泣く泣く来にける。
 
【訳】 
昔、水無瀬によくお通いになった惟喬親王に、いつものように狩りをしにおいでになるお供として、馬頭である老人がお仕えしていた。親王は何日かたってから、京の宮にお帰りになったのだが、老人は京までお送りして早く帰ろうと思っていたのに、親王は御酒を下さり褒美を下さるということで、なかなかお帰しにならなかった。この馬頭は早く帰りたいと気ががりで、



 枕とて草ひき結ぶこともせじ
  
  秋の夜とだにたのまれなくに
(枕として、草を引き結んで、旅寝することもしないでしょう。今は秋の夜の長さをあてにできない、春の短い夜ですから)

と詠んだ。その時は三月の末であった。親王はお休みにならないで、春の短い夜をお明しになった。このようなことをしながら老人はお仕えしていたが、意外にも親王は剃髪して出家なさってしまった。正月に拝謁しようということで、小野にお訪ねしたところ、そこは比叡の山のふもとなので、雪が大変深い。苦労して御庵室にうかがって拝謁すると、親王は手持ち無沙汰にもの悲しい様子でいらしたので、かなり長時間お仕えして、昔のことなどを思い出してお話しした。そのまま、そばにお仕えできればと思っても、正月の宮中の公の行事などがあるので、そのままずっとお仕えもできずに、夕暮の頃に京へ帰るということで、

 忘れては夢かぞとおもふ思ひきや
  
   雪ふみわけて君を見むとは
(現実を忘れては、これは夢ではないかと、思うことがあります。雪を踏み分けて、あなた様にお目にかかるとは)

と詠んで、泣く泣く京にかえったのだった。

【解】
前段から続く、惟喬親王との楽しい交わりも、後半は暗転。次の哀しい段に続いていく。ここでも「栄楽」のモチーフがみられる。



八四
むかし、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。その母長岡といふ所に住み給ひけり。子は京に宮仕へしければ、まうづとしけれど、しばしばえまうでず。ひとつ子さへありければ、いとかなしうし給ひけり。さるに、しはすばかりに、とみの事とて、御ふみあり。 
おどろきて見れば、うたあり。
 老いぬればさらぬ別れのありといへば
   いよいよ見まくほしく君かな
かの子、いたううちなきてよめる。
 世の中にさらぬ別れのなくもがな
   千代もといのる人の子のため
  
【訳】 
昔、男《業平》がいた。身分は低いけれど、母は内親王《業平の母。桓武天皇の皇女・伊都内親王》であった。
 
その母は長岡という所に住んでおられた。子は京で帝にお仕えしていたので、母をお訪ねしようとしたけれど、度々お訪ねするというわけにはいかない。そのうえ、一人っ子でさえあったので、母はとてもお可愛がりになっていた。そうしているうちに、十二月の頃に、「至急」という事で、お手紙が届く。驚いて見てみると歌があった。


 老いぬればさらぬ別れのありといへば
  
   いよいよ見まくほしく君かな
(年老いたならば、どうしても避けられぬ別れがある、ということですから、ますますお目にかかりたいと思います、愛しい我が子よ)

その子は、はげしく泣いて詠んだ。

 世の中にさらぬ別れのなくもがな
  
   千代もといのる人の子のため
(世の中に、避けられない別れなんかないほうがいい、長寿を祈る人の子のために)。

【解】
業平の鼻、伊都内親王の曾祖母は、百済王・明信の系譜だ。この母と苦労した父・阿保親王に育てられた業平は、貴族の品格と優雅さをもった、貴族らしい貴族であったが、小賢しさを要求される官僚世界の小さな枠からははみ出た存在──根っからの異邦人──であった。
      
      

八五
むかし、男ありけり。わらはより仕うまつりける君、御ぐしおろし給うてけり。正月にはかならずまうでけり。おほやけの宮仕へしければ、常にはえまうでず。されど、もとの心うしなはでまうでけるになむありける。むかし仕うまつり人、俗なる、禅師なる、あまたまゐり集まりて、正月なればことだつとて、おほみきたまひけり。雪こぼすがごと降りて、ひねもすにやまず。みな人ゑひて、「雪に降り籠めるられたり」といふを題にて、うたありけり。
 思へども身をしわけねばめかれせぬ
   雪のつもるぞわが心なる
とよめりければ、親王いといたうあはれがり給うて、御ぞぬぎて給へけり。

【訳】 
昔、男がいた。子供の頃からお仕えしていたご主君が、剃髪して出家してしまわれた。男は、正月には必ずお訪ねした。男は朝廷にお仕えしていたので、いつもお訪ねするわけにはいかなかった。しかし、以前お仕えしていた時の気持ちを失わずにお訪ねしていた。昔お仕えしていた人たちが、普通の人、出家した人、大勢のひとが集まって、正月だから特別にということで、ご主君がお酒をくださった。お酒をこぼすように、雪が激しく降って、一日中止まない。一同皆酔っ払って、「雪に降り篭めるれている」というのを題にして、歌を詠んだ。 


 思へども身をしわけねばめかれせぬ
  
   雪のつもるぞわが心なる
(あなた様にお仕えしたいと、思っていますが、私の身を二つに分けられませんので、このように雪が高く積もることは、少しでも長くおそばにいられて、これこそ私の本望です)

と詠んだので、親王は、大変に深く感動なさって、着ていたお衣を脱いで男に下さった。




八六
むかし、いと若き男、若き女をあひいへりけり。おのおの親ありければ、つゝみていひさしてやみにけり。年ごろ経て女のもとに、なほ心ざしはたさむとや思ひけむ、男うたをよみてやれりけり。
 今までに忘れぬ人は世にあらじ
  おのがさまざま年の経ぬれば
とてやみにけり。男も女もあひ離れぬ宮仕へになむいでにける。 

【訳】 
昔、とても若い男が、若い女と知り合い愛しあうようになった。しかし各々が親の庇護のもとにあったので、親に遠慮して交際が中途半端で終わってしまった。何年かしてから女の所に、やっぱり女への愛情を貫こうとおもったのか、男は歌を詠んでおくった。



 今までに忘れぬ人は世にあらじ
  
  おのがさまざま年の経ぬれば
(今の今まで、昔のことを忘れないでいる人は、この世にはいないでしょうね。お互いに、それぞれに過ごして、もう何年も経ってしまいましたからね)

と詠んで、そのまま終わってしまった。 
男も女も、全く同じ所に宮仕えしていたのでこうしたのだった。 



八七
むかし、男、津の国莵原の郡芦屋の里にしるよしして、いきて住みけり。昔の歌に、
 あしの屋のなだの塩焼きいとまなみ
   黄楊の小櫛もささず来にけり
とよみけるぞ、この里をよみける。ここをなむ芦屋の灘とはいひける。この男、なま宮仕へしければ、それを便りにて、衛府佐ども集まり来にけり。この男のこのかみも衛府督なりけり。その家の前の海のほとりに遊びありきて、「いざ、この山のかみにありといふ布引の滝見にのぼらむ」といひてのぼり見るに、その滝ものよりことなり。ながさ二十丈、ひろさ五丈ばかりなる石のおもて、白絹に岩を包めらむやうになむありける。さる滝のかみに、わらふだの大きさして、さしいでたる石り。その石のうへに走りかゝる水は、小柑子、栗の大きさにてこぼれ落つ。そこなる人にみな滝の歌よます。かの衛府督まづよむ。
 わが世をばけふかあすかと待つかひの
   涙のたきといづれたかけむ
あるじ、つぎによむ。
  ぬき乱る人こそあるらし白玉の
    まなくもちるか袖のせばきに
とよめりければ、かたへの人、笑ふ。ことにやありけむ、この歌にめでて止みにけり。帰くる道遠くて、うせにし宮内卿もちよしが家の前くるに日暮れぬ。やどりの方を見やれば、あまのいさり火おほく見ゆるに、かのあるじの男よむ。
 はるゝ夜の星か河辺の蛍かも
  わが住むかたのあまのたく火か
とよみて家に帰りきぬ。その夜、南の風吹きて、浪いとたかし。つとめて、その家のめのこども出でて、浮海松の波によせられたる拾ひて、家のうちにもてきぬ。女方より、その海松を高坏にもりて、かしはをおほひていだしたる、かしはにかけり。
 わたつみのかざしにさすといはふ藻も
   君がためには惜しまざりけり
田舎人の歌にいは、あまけりや、たらずや。

【訳】 
昔、男《業平》が、摂津の国の莵原の郡の芦屋の里《父の郷》に自分の領地があったので、行って住んだ。昔の歌に、



 あしの屋のなだの塩焼きいとまなみ
  
   黄楊の小櫛もささず来にけり
(芦屋の灘の、芦の屋に住む海人の女は、塩焼きの仕事で暇がないので、黄楊の小櫛も髪にささずに、あなたのもとに来てしまいました)

とあるのは、この里のことを詠んだのだった。それでここを「芦屋の灘」と呼んだ。
この男は、宮仕えはしていたけれど閑職だったので、その縁で衛府佐たちが集まって来た。この男の兄も衛府督であった。その家の前の海辺を遊びまわって、「さあ、この山の上にあるという布引の滝を見に登ろう」と言って登って見ると、その滝は他の滝とは全く違っていた。
長さ六十メートル、幅十五メートルほどもある石の表面は、まるで白絹で岩を包みこんでいるかのようであった。そんな滝の上の方に、藁の円座の大きさで、突き出している石かある。その石の上に走りかかる水は、小さな柑子か栗ほどの大きさでこぼれ落ちる。そこにいる人みんなに滝の歌を詠ませる。あの衛府督が先ず詠む。


 わが世をばけふかあすかと待つかひの
  
   涙のたきといづれたかけむ
(自分が認められる世を、今日か明日かと待つ甲斐もなく涙がおちるが、そんな涙の落ちる滝と、一体どちらが高いだろうか)

主人の男が、次に詠む。


 ぬき乱る人こそあるらし白玉の
  
  まなくもちるか袖のせばきに
(玉の緒を抜き取って、バラバラにする人がいるように、涙の白玉が絶えず散るよ。それを受け止める、私の袖はこんなに狭いのに)

と詠んだので、傍らの人は声を出して笑った。あんまりおかしかったのだろうか、この歌の裏読みに感心して、ほかの人は詠むのを止めにしてしまった。
そこから帰って来る道程は遠く、亡くなった宮内の長官の藤原もちよしの家の前を通りかかった頃に日が暮れてしまった。芦屋の家の方を見ると、海人の漁火がたくさん見えるので、この主人の男が詠んだ。


 はるゝ夜の星か河辺の蛍かも
  
  わが住むかたのあまのたく火か
(あれに見えるのは、晴れた夜空の星か、それとも川辺に舞う蛍なのか。いや、私の住む芦屋の家の方で、海女がたく漁火なのだろうか)

と詠んで家に帰ってきた。その夜は、南の風が吹いて波が大変高い。翌朝、その家の女の子たちが浜辺に出て、浮ミルが波に打ち寄せられていたのを拾って、家の中に持ってきた。この家の大奥様から、そのミルを高坏に盛って、柏の葉でおおって差し出してきたが、柏にこう書いてあった。


 わたつみのかざしに砂州といはふは藻も
  
   君がためには惜しまざりけり
(海の神様が、髪かざりに差すという、神聖なこの藻も、あなたのためには、このように惜しまなかったのです)

田舎の人の歌としては、普通よりうまいだろうか、下手だろうか。

【解】
布引の滝は、新幹線・新神戸駅すぐ近く。手軽な観光地とみえて、業平も仕事仲間と気晴らしにきたのであろう。後半の海松の内容は、付けたしのようで、他の段からか、新たにか付加したようである。



八八
むかし、いと若きにはあらぬ、これかれ友だちども集りて、月を見て、それがなかにひとり、
 おほかたは月をもめでじこれぞこの
   つもれば人の老いとなるもの
  
【訳】
昔、もうそれほど若いとはいえないが、あの人この人といった友だちたちが集って、月を見たのだが、その中の一人が、詠んだ



 おほかたは月をもめでじこれぞこの
  
   つもれば人の老いとなるもの
(全くもって、月を誉めるのは止めよう。この月こそが、塵と積もれば、ほら、人の老いとなるものだから)

【解】
四〇歳のころという。同じ月を見ても、老いの兆候をみる年頃になった。第四段の「月やあらぬ・・」の句を対比的に思い出させる。青春の息吹溢れる時節の時の変移との決定的な違いは、そこに「死」が侵入してくること。死の無常性が蔭を落とす伊勢物語後半の幕開けである。



八九
むかし、いやしからぬ男、我よりはまさりたる人を思ひかけて、年へける。
 人知れずわれ戀ひ死なばあぢきなく
   何れの神になき名をおほせむ
  
【訳】
昔、身分の低くない男《業平》が、自分より身分の高い女性《高子》に思いを寄せて、年月が過ぎた。


 人知れずわれ戀ひ死なばあぢきなく
  
   何れの神になき名をおほせむ
(このまま人にも知れずに、戀い死にするのだとすれば、何とも淋しい人生だろう。いずれの神に、無実のこの不運という罪名を負わせたらよいのだろう)

【解】
以下の九二・九三段と同じ趣意。身分不相応という不運ゆえの叶わぬ、高子との戀の行方。それは業平にとって畢生の戀。運命的出逢い。だから、なおどう成就し果たしゴールへいたればよいのかと悩む。その影は深い。慨嘆が溢れ出る秀歌である。
 悲戀がしかし人を深化させる。いのちを深め醸熟させ、精神の芳香を高める。嘆けるばかりの戀ではないのでではないか。縁の世界で円満な家庭を結べることだけが、戀の成就なのか。「戀ひ死」できるほどの人と出逢い、たがいに戀慕し合い、生命を息吹かせえたということの方が、生の真実に近くはないか。



九○
むかし、つれなき人をいかでと思ひわたりければ、あはれとや思ひけむ、「さらばあすものごしにても」といへりけるを、かぎりなくうれしく、また疑はしければ、おもしろかりける桜につけて、
 桜花けふこそかくにねにほふとも
   あな頼みがたあすの夜のこと
といふ心ばへもあるべし。

【訳】
昔、つれない女性《ひと》にどうにかして逢いたいとひたすら思い続けていたので、女は可哀想に思ったのだろう、「それならば明日、物越しでお逢いしましょう」と言ってきたのを、天に昇るほど嬉しく思ったが、また疑わしいとも思ったので、とても美しく咲いていた桜に付けておくった歌のように、



 桜花けふこそかくにねにほふとも
  
   あな頼みがたあすの夜のこと
(桜の花よ、今日こそは、こんなに美しく、咲き香っているけれど、ああ、何とも頼りないことだよ、明日の夜のことが)

という不安な気持ちが、男にはあるようだ。


九一
むかし、月日のゆくへをさへ嘆く男、三月つごもりがたに、
 をしめどもはるのかぎりのけふの日の
   夕暮れにさへなりにけるかな

(こんなに名残を惜しんでも、春の終りの今日のこの日の、しかも夕暮れ時にとうとうなってしまった)
 
【解】
 「春」は青春の、その終焉を嘆くのか、それとも青春の日々の果たせなかった戀の成就を慨嘆している黄昏時の老境の心境なのか。



九二
むかし、戀ひしさに来つゝつかへれど、女にせうそこをだにえせでよめる。
 葦べ漕ぐ棚なし小舟いくそたび
  行きかへるらむ知る人もなみ
  
【訳】
昔、戀しさのあまり男が女の家に何度もやって来ては帰るのだけれど、女に手紙を渡すことさえできず、歌を詠んだ。


 葦べ漕ぐ棚なし小舟いくそたび
  
  行きかへるらむ知る人もなみ
(葦の水辺を漕ぐ、棚なし小舟《質素な小舟》は、一体何回、行ったり帰ったりするのだろう、それに気づく人もいない)

【解】
粗末な小舟にのる身分低き男だから、いくら行ったり来たりしても、背の高い芦(社会的身分制度の壁)にさえぎられて、手紙すら渡せない。業平がまだ、藤原高子に想いを打ち明ける前の話だろう。青春のつらき日々を述懐している。



九三
むかし、男、身はいやしくて、いとになき人を思ひかけたりけり。すこし頼みぬべきさまにやありけむ、臥して思ひ、起きて思ひ、思ひわびてよめる。
 あふなあふな思ひはすべしなぞへなく
   高きいやしき苦しかりけり
むかしもかかることは、世のことわりにやありけむ。

【訳】
昔、男《業平》が自分の身分は低かったが、比較できないほど高貴な身分の人《高子・たかいこ》に思いをかけたのだった。その女に少しは望みをもってもよさそうな感じであったのだろうか、横になっては想い、起きては想い、悩み苦しんだ挙句、歌を詠んだ。


 あふなあふな思ひはすべしなぞへなく
  
   高きいやしき苦しかりけり
(身分の違いなんか考えずに、戀はするものだ。身分の高い者と低い者との戀は、こんなにも苦しいものなのだ)

 昔も、このような身分違いの戀いに苦しむのは、世の道理であったのであろうか。
 

九四
むかし、男ありけり。いかゞありけむ、その男すまずなりにけり。のちに男ありけれど、子あるなかなりければ、こまかにこそあらねど、時々ものいひおこせけり。女方に、絵かく人なりければ、かきにやれりけるを、今の男のものすとて、ひと日ふつかおこせざりけり。かの男いとつらく、「おのが聞ゆる事をば、今までたまはねば、ことわりとおもへど、なほ人をばうらみつべきものになむありける」とて、ろうじてよみてやれりける。時は秋になむありける。
 秋の夜は春日わするゝものなれや
   霞に霧や千重まさむらむ
となむよめりける。女、かへし、
 千ぢの秋ひとつの春にむかはめや
   もみじ花もともにこそ散れ
  
【訳】
 昔、男がいた。どのような事情があったのか、その男は女の家に通っていかなくなってしまった。女は後に別の男を持つようなったけれど、もとの男との間には子供がある関係であっので、きめこまかやかにとはいかないけれど、男は時々手紙をよこしたのだった。女は絵を描く人《※》だったから、男は女のところに、絵を描いてもらいに使いを出したけれど、女は丁度、今の男が来ているからという理由で、頼んだ絵を一日二日よこさなかった。その男はあまりにも辛い思いを味わい、逆に「大変辛いことに、私のお願いしたことを、今までやって下さらなかったので、もっともだとは思いますが、やっぱりあなたを恨んで当然でした」と、からかって詠んでおくった。時節は秋のことであった。

 
  秋の夜は春日わするゝものなれや
  
    霞に霧や千重まさむらむ
(秋の夜には、春の日のことなど、忘れてしまうものなのだから、過ぎし日の春の霞より、今の秋の霧のほうが、千倍もよいのでしょうね)

と詠んだのだった。女は、歌を返した、



 千ぢの秋ひとつの春にむかはめや
  
   もみじ花もともにこそ散れ
(千個の秋も、たった一個の春にはかないません。でも今の紅葉も、過ぎし日の桜の花も、どちらも散ってしまうものです)

※【絵を描く人】 染殿の内侍。業平の二番目の妻。手先が器用で、源能有から染め物を頼まれ、業平からは裁縫を頼まれている(『大和物語』150・160段)
      
      

九五
むかし、二条の后に仕うまつる男ありけり。女の仕うまつるを、つねに見かはして、よばひわたりけり。「いかでものごしに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさむ」といひければ、女、いとしのびて、ものごしに、逢ひにけり。物語などして、男、
 彦星に戀はまさりぬ天の河
  へだつる関をいまはやめてよ
この歌にめでて、あひにけり。

【訳】
昔、二条の后にお仕えする男がいた。同じ后に仕えている女を見初めた。彼女とは同職場で、いつも顔を合わせていたから、ずっと求婚し続けていた。「物越しにでもいいからなんとかお目にかかり、このじれったく思いつめた気持ちを、すこしでも晴れ晴れさせたい」と言ったら、女はひそかに人目を避けて、物《簾・障子》越しに逢ったのだった。物語などをして、男が、

 

 彦星に戀はまさりぬ天の河
  
  へだつる関をいまはやめてよ
(彦星の苦しみよりも、私の戀の方がまさってしまった。天の川のように二人を隔てる関を、今はもう、取り払って下さい)

この歌に感動して、女は契りを結んだのだった。



九六
むかし、男ありけり。女をとかくいふこと月日へにけり。石木にしあらねば、心苦しとや思ひけん、やうやうあはれと思ひけり。そのころ水無月のもちばかりなりければ、女、身に瘡一つ二つ出できにけり。女いひおこせたる。「今はなにの心もなし。身に瘡も一つ二つ出でたり。時もいと暑し。すこし秋風ふきたちなむ時、かならずあはむ」といへりけり。秋まつころほひに、こゝかしこより「その人のもとへいなむずなり」とて、口舌出できにけり。さりければ、女のせうと、にはかに迎へに来たり。されば、この女、かへでの初もみぢをひろはせて、歌をよみて、書きつけておこせたり。
 秋かけていひしながらもあらなくに
  この葉降りしくえにこそありけれ
と書きおきて、「かしこより人おこせば、これをやれ」とていぬ。さて、やがて後、つひにけふまでしらず。よくてやあらむ、あしくてやあらむ、いにし所もしらず。かの男は、天の逆手をうちてなむ呪ひをるなむ。むくつけきこと。人の呪ひごとは、負ふものにやあらむ、負はぬものにやあらむ、「今こそは見め」とぞいふなる。

【訳】
昔、男がいた。女になんやかんやと言い寄って、かなりの月日がたってしまった。女も非情な石木ではないので、気の毒に思ったのだろうか、男をだんだん愛しいと思うようになってきた。それは六月十五日の頃であったが、女は体にできものがが一つ二つできてしまった。女は言い寄こした。「今はあなた以外のことは何も考えられません。でも、体にできものが一つ二つできています。時期もとても暑いことです。少し秋風が吹きはじめる頃に、必ずお逢いしましょう」と言ったのだった。約束の秋を待っていると、あちこちから「女が誰某の所に行こうとしているようだ」ということで、苦情が出てしまった。そこで女の兄が、急に女を迎えに来た。それでこの女は、楓が最初に紅葉したのを拾わせて、男に歌を詠み書いておくってきた。


 秋かけていひしながらもあらなくに
  
   葉降りしくえにこそありけれ
(秋にお逢いしようと心にかけて、お約束したのにできませんでした。木の葉が降り敷いた、浅くなった入り江のような、浅い縁でございました)
      
と書いて置き、「あの方から人をよこしたならば、これを渡して」と言ってそこを去ってしまった。さて、その後、とうとう今日に至るまで女の消息は分からない。幸せに暮らしているのだろうか、不幸な目に遭っているのだろうか、去って行った場所も分からない。ところがその男は、天の逆手を打って、女を呪っているということだ。気味の悪い話しである。人の呪い言葉は、呪われた人の身に受けるものなのだろうか、受けないのだろうか、男は「すぐに、私の呪いを味わうことになるだろう」と言っているということだ。


九七
むかし、堀川のおほいまうちぎみと申すいまそかりけり。四十の賀、九条の家にてせられける日、
 さくら花散りかひ曇れ老いらくの
   来むといふなる道まがふがに

【訳】
昔、堀川の大臣《藤原基経》という方がいらっしゃった。四十の賀が、九条の家で催される日に、中将であった老人《業平》が詠んだ。



 さくら花散りかひ曇れ老いらくの
  
   来むといふなる道まがふがに
(桜の花よ、一面に散り乱れて、あたりを暗く曇らせて欲しい。老いが来るという、黄昏の道が紛れて分からなくなるほどに)

【解】
老いという暗いイメージを、鮮やかな桜の花びらで覆い尽くしてしまうという、意表をついた明るい歌。ここでも業平のスケールの大きさが読みとれる。
      


九八
むかし、太政大臣と聞ゆる、おはしけり。仕うまつる男、なが月ばかりに、梅のつくり枝に雉をつけて、奉るとて、
 わがたのむ君がためにと折る花は
  ときしもわかぬものにぞありける
とよみて奉りたりければ、いとかしこくおかしがり給ひて、使に禄たまへりけり。

【訳】
昔、太政大臣《藤原良房》という方がいらっしゃった。その方にお仕えしている男が、九月頃に、梅の造枝に雉をつけて差し上げるということで、



 わがたのむ君がためにと折る花は
  
  ときしもわかぬものにぞありける
(私がお頼りにしている、あなた様のためにと、折るこの梅の花は、時もわきまえないで、こんな季節に咲いています)

と詠んで差し上げたので、大変面白がって、使いの者に褒美を下さった〔梅の造花が、季節に関係なく年中花が咲いていますと、藤原西家の勃興ぶりを誉めてやった〕。



九九 戀の道しるべ
むかし、右近の馬場のひをりの日、むかひに立てたりける車に、女の顔の、下簾よりほのかに見えければ、中将なりける男のよみてやりける、
 見ずもあらず見もせぬ人の戀ひしくは
   あやなくけふやながめ暮さむ
かへし、
 知る知らぬ何かあやなくわきていわむ
   思ひのみこそしるべなりけれ
のちは誰と知りにけり。

【超訳】
昔、右近の馬場の騎馬弓の試射のあった日《五月六日》のこと。皇居護衛隊の中将《中隊長》だった業平は警護の指揮にあたっていた。そのおり、道路の向かい側に牛車が停車した。下簾から、女性の顔がうっすら仄見えた。ただそれだけのことだが、なぜか胸騒ぎ。ドキドキし、生命が躍動してしまう。あの甘き戀慕の想いが沸々と湧き出て止まらなかった。そこで中将であった男《業平》は、歌を詠んで戀文を女性に贈った。

 見ずもあらず見もせぬ人の戀ひしくは
  
   あやなくけふやながめ暮さむ
(チラッとお見かけしただけなのに、見ず知らずの貴女のことがなぜなのか、とても戀しく想われてなりません。ドキドキして分けがわからず、今日は物思いに耽りながら一日を過ごすのでしょうか。)

するとその見ず知らずのはずの女性が、熱き想いをこめて返歌してきました。

 知る知らぬ何かあやなくわきていわむ 
   思ひのみこそしるべなりけれ
〔なんの理由もなくって、知っているとか知らないなんていう分別は起きないでしょう。まず湧き上がった、戀しいというあなたのその自然な想い。生命の息吹から湧き上がるその想い《マグマ・愉而今》だけが、戀の道標《みちしるべ》です。
 たしかに二人は、縁の世界の厳しい規範によって引き裂かれ、幸福な婚姻生活には入れませんでした。たがいに苦労もします。でもそれがなんだと言うのです? こうしていつになってもどこででも、チラッと出逢うだけで、フッと薫るだけで、自然と湧き上がってくる熱き想い。これだけが、戀の成就へ至るための、なにより確かな道標でしょう。
 役所に婚姻届を出せたって、同じ屋根の下で暮らせたからって、あれこれ夫婦形態を演じることができたからって、それがなんだというのでしょう。マグマの震動。ドキドキするこの生命の息吹、たましいの共振だけが、すべての真実であり、確実な拠り所です。二つの生命が溶けあって一つになって息吹くこと。それこそが戀の成就でしょう。
 でも佳かったです。あれからもう二十年経ちますのに、すぐにあなたの情念(戀しい想い・愉而今)が反応してくださいましたね。
 お久しぶりです。高子です。生命の息吹《たましい》は、戀の道標に導かれてずっと一つに結ばれ、天地自然のなかで息吹いていました。おそらくきっとこれからも、とこしえに。

この返歌をえて後すぐ、男は、かの女性が誰であるか分かった。

【解】
業平と高子の再会。「戀の道標」はただひたすら戀しく思うそのこころ、マグマの震動。ドキドキするその生命の息吹、たましいの歌だけが、すべての真実であり、拠り所。



一○○
むかし、男、後涼殿のはさまを渡りければ、あるやんごとなき人の、御局より、忘草を「忍草とやいふ」とて、出ださせ給へりければ、たまはりて、


 忘草生ふる野辺とはみるらめど
  
  こはしのぶなりのちもたのまむ
(私を忘れ草の生える野辺と、ご覧になっているようですが、この草は忍ぶ草です。今後もよろしく、お頼み申し上げます)

【解】
高子からの戀文。忘れるものですか、耐えて忍んで生きてまいりました。これからは無論、後世もいつまでも、とこしえに。
 簡素な詩歌ですが、生死を超えた大スケールで、熱い想いが溢れます。忍ぶの戀こそ、戀の至極。そんな『葉隠』の思想まで喚び起こします。
 たしかに、たった五〇メートル、なのに厳しいこの懸隔です。ですが、そのためでしょう、いやでも、厳しい懸隔をいかにして溢れる悦びの愛(合一交歓)へと成就していくのかという難題をつきつけられました。あえての成就を強いられる哀しい運命ではあるのですが、しかしそれは、あえて成就し醸熟する必要もなく安易に婚姻を結ぶ月並みなカップルたちより、どんなにか豊かな人生を結実させることでしょう。
 なぜかといえば、もともと汝と我とは「他者」同士ですから。独りで生まれ独りで生きて独りで死ぬ。そんな弧絶独一性が、私たち人間存在のどうしようもない刻印ですから。「異他性」「他者性」は、早々簡単に解消できるような柔なモノではない。
 ですから弧絶独一性を本質とする者同士が、そのうえであえて「合一交歓」を実現しようとする愛とは、もともと厳しい試練を求めるものです。その試練の成就や大切な熟成の時間を忍ばないから、ふつうの戀愛や月並みな婚姻関係では、いつの間にかすべてが気怠いルーチンと化し、お互いへの思い遣りは不自由な義務となり、交わし合うはずの微笑は硬直した皺や傷を顔面や心に彫り込むだけになるわけです。
 ですがこの懸隔。そのゆえにこそ、女性は妙なる音曲を詠う楽器であり、性愛が神聖楽器の壮大な演奏会であり、天地宇宙へ浮遊する神聖儀式の開演であることを知りましたし、互いがたがいの「存在」を気遣いあい、その相互の存在が、奇しくも今ここに共に在ること(共在、存在論的遭遇性)の凄さ(共に在ることの神秘)を深々と得心もできます。生まれ、生きて、死んでいく、その存在の事実の重さと荘厳性にも覚醒できます。つまりは存在の大肯定。そしてそんな「存在」を恵んでくれた「天地自然」(道・宇宙的大生命・神)への心底からの感謝と帰依(つまり信仰)までが、与えられるというわけです。
 どうしようもない人間存在どうしの懸隔、異他性。それを堪え忍んで結実するのが本当の愛ということでしょう。それはそうですが、しかしそのうえで、こうして悟りを開きあい、奇しくもこの世で出逢い共に在ることの至福に覚醒した者どうしが、懸隔解除し一つに溶けあう神聖楽器演奏会が開演できるなら、やはりそれこそ「戀の成就」といわなくてはなりません。その時、天地宇宙はとどろき、樹々に見えない花が咲き、宇宙全体が愉悦に震えることでしょう。性愛演奏会は天地宇宙を言祝ぐための神聖な儀礼となるはずです。



一○一
むかし、左兵衛督なりける在原の行平といふありけり。その人の家によき酒ありと聞きて、うへにありける左中弁藤原の良近といふをなむ、まらうどざねにて、その日はあるじまうけしたりける。なさけある人にて、瓶に花をさせり。その花のなかに、あやしき藤の花ありけり。花のしなひ三尺六寸ばかりなむありける。それを題にてよむ。よみはてがたに、あるじのはらからなる、あるじし給ふと聞きて来たりければ、とらへてよませける。もとより歌のことは知らざりければ、すまひけれど、強ひてよませければ、かくなむ。
 咲く花のしたにかくるる人を多み
   ありしにまさる藤のかげかも
「などかくしもよむ」といひければ、「太政大臣の栄華のさかりにみまそかりて、藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめる」となむいひける。みな人そしらずになりけり。

【訳】
昔、左兵衛督であった在原行平《業平の兄》という人がいた。その人の家には、よい酒があると聞いて、上司の左中弁《太政官内の庶政担当》の藤原良近という人を、主客ということにして、その日は主人となってご馳走を振る舞った。主人は風流のたしなみを心得た人であるから、瓶に花を差してあった。その花の中に不思議な藤の花があった。花の房が一・五メートルほどもあった。それを題にして詠む。詠み終わる頃に主人の兄弟である男が、宴会していられると聞いてやって来たので、つかまえて歌を詠ませた。もともと歌のことは何も知らなかったので、辞退したが、無理強いして詠ませたところ、このように詠んだ。


 咲く花のしたにかくるる人を多み
  
   ありしにまさる藤のかげかも
(咲く花の下に、隠れる人が多いので、前よりずっとすばらしい、藤の陰であることです)
      
「どうしてこんな歌を詠むんだ」と言ったので、「太政大臣の藤原良房様が栄華の絶頂にいらっしゃって、藤原氏が特に栄えているのを思って詠んだのです」と言った。この説明で、皆はこの歌を非難しなくなった。
【解】
業平は、太政大臣になった藤原良房よりも、年齢も境遇もよく似た、今藤の花の下にいる藤原良近に近親感を抱いていたのであろう。藤原氏の繁栄を支えているのは、本当は陰に隠れている良近たちで、もっと陽の当たる所に出してもいいじゃないか、という意味を含ませている。



一○二
むかし、男ありけり。歌はよまざりけれど、世の中を思ひしりたりけり。あてなる女の尼になりて、世の中を思ひ倦んじて京にもあらず、はるかなる山里に住みけり。もと親族なりければ、よみてやりける。
 そむくとて雲には乗らぬものなれど
  世の憂きことぞよそになるてふ
となむいひやりける。斎宮の宮なり。

【訳】
昔、男がいた。歌は詠まなかったけれど、世間のことをよくわきまえていた。ある身分の高い女《高子?》が尼になって、世間をつくづく嫌になってしまい、京に住まずに、遠く離れた山里に住んでいた。男は、この女とはもともと親族であったので、歌を詠んでおくった。



 そむくとて雲には乗らぬものなれど
  
   世の憂きことぞよそになるてふ
(出家しますと、仙人のように「世に背を向けた」といって雲には乗りませんが、縁の世界の嫌なことは、関係ないことになるといいます)

という内容だった。この女は斎宮の宮様である。
【解】
二条后のことだろうか。皇后の座から引きずり降ろされた悔しさと人生の空しさが、俗世から離れさせようとしている。



一〇三
むかし、男ありけり。いとまめにじちようにて、あだなる心なかりけり。深草のみかどになむつかうまつりける。心あやまりやしたりけむ、みこたちの使ひ給ひける人をあひいへり。さて、
 寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめば
   いやはかなにもなりまさるかな
となむよみてやりける。さる歌のきたなげさよ。

【訳】
昔、男がいた。とても真面目で実直で、浮気をしようというような心はなかった。深草の帝にお仕えしていた。でも、心のバランスがくずれたのだろう、親王たちが使っておられた人と深い関係になってしまった。そうして、


 寝ぬる夜の夢をはかなみまどろめば
  
   いやはかなにもなりまさるかな
(供寝した夜の夢が、あまりにもあっけないので、もっとハッキリと見たいと、まどろんでみたら、いよいよその夢は、あっけないものになってしまいました)

と詠んで贈ったそうだ。そんな歌本当に見苦しい。

【解】
二説ある。
自分一筋だと思いこんでいた女が、相手の男がいとも簡単に浮気をしてしまったのを恨んで、汚らしいことだと思ったという説。 
もう一つは、よそで夢のような思いをしてきて、再度味わいたいと自宅に帰ってからもう一度寝るなんて、本当に俺はどうしようもないな、と自分を卑下しているいう説。



一○四
むかし、ことなる事なくて尼になれる人ありけり。かたちをやつしたけれど、物やゆかしかりけむ、賀茂の祭見にいでたりけるを、をとこ歌よみてやる。
  世をうみのあまとし人を見るからに
    めくはせよとも頼まるゝかな
これは、斎宮の物見たまひける車に、かくきこえたりければ、見さしてかへり給ひにけりとなむ。

【訳】 
昔、特別の理由もなくて尼になっている人がいた。姿を尼の出家姿に変えてはいるけれど、好奇心も生命への畏敬も旺盛であられたので、賀茂の祭りを見物に出かけられたところ、男が歌を詠んで贈った。


 世をうみのあまとし人を見るからに
  
   めくはせよとも頼まるゝかな
(世を疎んで尼となったあなたを、海の海女と見るからには、海藻を食べさせよとも、目くばせせよとも解釈してしまう、あなたの戀心をあてにしてしまいます)

これは、斎宮が見物されていた車に、このように歌を差し上げたので、斎宮は祭りの見物を途中で止めて、帰ってしまわれたということです。

【解】
「めくはせよ」を、「メ《海草・女》食わせよ」と「目配せよ」とかけた。
 高子が、賀茂神社に奉仕する未婚の内親王である斎院を見て、昔の斎宮の自分を思い出していたのだろう。そんな姿を見た男《業平》が、「浮き世を捨てたはずの尼さまが、まだ未練があるのですか。それならば私に合図してください、まだあなたの戀心を信じてしまいます」と言ったものだから、女は鉄のカーテンを敷いて帰っていった。
分かってはいるけれど、男性である業平はまだまだ修行不足。渋い自制心で忍びの戀を成就できないでいる自分への反省歌かもしれない。



一○五
むかし、男、「かくては死ぬべし」といひやりければ、女、
 白露はけなばけななむ消えずとて
   玉にぬくべき人もあらじを
といへりければ、いとなめしと思ひけれど、こころざしはいやまさりけり。

【訳】 
昔、男が「こんな有様では、私は死んでしまいます」と言って贈ったところ、女は、

 白露はけなばけななむ消えずとて
   玉にぬくべき人もあらじを
(白露は、消えてしまいたいのならどうぞ、勝手に消えてしまって下さいな。たとえ消えなかったとしても、それを玉として、糸を通そうなどとする人などもいないでしょうから)

と言ったので、男は非常に無礼なやつだとは思ったけれど、女に対する愛情はますます深くなるのだった。



一〇六
むかし、男、親王たちのせうえうし給ふ所にまうでて、龍田川のほとりにて。
  ちはやぶる神代もきかず龍田河
   からくれなゐのに水くゝるとは

【訳】 
昔、男が、親王たちがブラブラと遊び歩いていられる所にお伺いして、龍田川のほとりにて詠んだ歌。


 ちはやぶる神代もきかず龍田川
  
  からくれなゐのに水くゝるとは
(不思議なことの多かった神代でも、聞いたことがありません。龍田川の水を深紅色に、括り染めにするとは)



一○七
むかし、あてなる男ありけり。その男のもとなりける人を、内記にありける藤原の敏行といふ人よばひけり。されど若ければ、文もをさをさしからず、言葉もいひ知らず、いはんや歌はよまざりければ、かのあれじなる人、案を書きてかゝせてやりけり。めでまどひにけり。さて男のよめる、
 つれづれのながめにまさる涙川
  袖のみひぢて逢ふよしもなし
かへし、れいの男、女にかはりて、
 浅みこそ袖はひづらめ涙川
  身さへながると聞かばたのまむ
といへりければ、男いといたうめでて、いままでまきて文箱に入れてありとなむいふなる。 男文おこせたり。えてのちの事なりけり。「雨の降りぬべきになむ見わづらひ侍る。身さいはひあらば、この雨は降らじ」といへりければ、例の男、女に代りてよみてやらす。
 かずかずに思ひ思はず問ひがたみ
   身をしる雨は降りぞまされる
とよみてやれりければ、蓑も笠もとりあへで、しとゞに濡れてまどひきにけり。

【訳】 
昔、身分の高い男がいた。その男のところにいた人を、内記であった藤原敏行という人が求婚した。しかし女は若かったので、手紙もちゃんと書けなくて、言葉の言い表し方も知らず、まして歌などは詠まなかったので、あの主人である人が、原案を書いて女に聞かせて、男に贈った。男は深く感動してしまった。そこで男が詠んだ。


 つれづれのながめにまさる涙川
  
  袖のみひぢて逢ふよしもなし
(この長雨で水かさが増すように私はあなたが戀しくて戀しくて、涙が水かさの増した川のように流れ、袖が濡れるだけで、あなたにお逢いする術もありません)

女の返し歌は、例の男、女に代わって、


 浅みこそ袖はひづらめ涙川
  身さへながると聞かばたのまむ
(川が浅いからこそ、袖は濡れるのでしょう。あなたの涙の川が深くなって、体まで流れるとお聞きしたならば、あなたを頼りにいたしましょう)

と言ったので、男はそれはそれは大変感心して、その手紙を現在まで巻いて文箱に入れて大切にしているということです。
 男は手紙を送ってきた。女を得てからの事であった。
「雨が降りそうですから、空を見てあなたをお伺いしようか悩んでいます。私に幸運がありましたならば、この雨は降らないでしょう」と言ったので、例の男は、女に代って詠んで贈った。


 かずかずに思ひ思はず問ひがたみ
  
   身をしる雨は降りぞまされる
(あれこれと私を思って下さるのか、思って下さらないのか。本心を聞きかねていましたので、私の悲しい身のほどを知る涙の雨は、ますます激しく降ってきました)

と詠んで贈ったから、蓑も笠も取る間もなく、雨にグッショリと濡れて大急ぎでやってきたのだった。

【解】
あてなる男が敏行で、その男・れいの男とは業平であるから、女は業平の妹か業平の娘である。



一○八
むかし、女、人の心を怨みて、
 風吹けばとはに浪こすいはなれや
   わが衣手のかわく時なき
と、常のことぐさにいひけるを、聞きおひける男、
 よひ毎に蛙のあまた鳴く田には
   水こそまされ雨は降らねど

【訳】 
昔、女が男の心を怨んで、



 風吹けばとはに浪こすいはなれや
  
   わが衣手のかわく時なき
(風が吹くと、いつも波が越す岩なのでしょうか。わたしの袖は、乾く間もございません)

と、いつもの口癖のように言っていたのを、それは自分を恨んでいるのだなと聞いた男が、詠んだ。


 よひ毎に蛙のあまた鳴く田には
  
   水こそまされ雨は降らねど
(毎夜毎夜、蛙が沢山鳴く田んぼには、雨は降らないのに、蛙の涙で水かさが増えます)
【解】
「泣く」のは男という説もある。海には水が溢れているけれど、田んぼにも水ならぬ私の涙が溢れていますと男がきり返すのである。



一〇九
むかし、男、友だちの、人を失へるがもとにやりける。
 花よりも人こそあだになりけれ
   何れをさきに戀ひむとかし

【訳】 
昔、男が、友人で、好きな人を失なった人の所に歌を贈った。

 花よりも人こそあだになりけれ
  
   何れをさきに戀ひむとかし
(なんと、花よりも先に、愛する人の方が、亡くなってしまったのですね。あなたは花と愛する人と、どちらを先に戀い慕うと、思っておられたのでしょうか。)
      


一一○
むかし、男、みそかにかよふ女ありけり。それがもとより、「こよひ夢になむ見え給ひつる」といへりければ、男、
 思ひあまり出でにし魂のあるならむ
   夜深く見えば魂むすびせよ

【訳】
昔、男が密かに通う女があった。その女のところから、「今夜、あなたが夢の中に現れました」と言ってきたので、男は、



 思ひあまり出でにし魂のあるならむ
  
   夜深く見えば魂むすびせよ
(戀しさに思いあまって、私から出ていった、魂があるのだろう。もし夜深い時刻に、私の魂が見えたならば、魂結びのおまじないをして下さいな) 



一一一
むかし、男、やむごとなき女のもとに、なくなりにけるをとぶらふやうにて、いひやりける。
  古はありもやしけむ今ぞ知る
   まだ見ぬ人を戀ふるものとは
かへし、
  下紐のしるしとするも解けなくに 
   かたるが如はこひずぞあるべき
また、返し、
  戀ひしとはさらにいはじ下紐の
   解けむを人はそれと知らなむ

【訳】 
昔、男が身分の高い女のところに、亡くなった人を弔うような格好で、言って贈った。


 古はありもやしけむ今ぞ知る
  
  まだ見ぬ人を戀ふるものとは
(昔はこんなことがあったでしょうが、今はじめて知りました。まだ見たこともない人を、戀するものだと)

女の返し歌。


 下紐のしるしとするも解けなくに
  
  かたるが如はこひずぞあるべき
(ひとりでに解けるのが下紐の戀の証拠だといいますが、その下紐も解けませんから、あれこれおっしゃる程には、私を戀い慕ってはいらっしゃらないのでしょうね)

また、男の返し歌。



 戀ひしとはさらにいはじ下紐の
  
  解けむを人はそれと知らなむ
(あなたが戀しいと、もうそれ以上言うのはやめましょう。もうすぐ下紐が解けるでしょうから、あなたは戀い慕われていると知って下さい)
      
【解】
いにしえには、突然、下紐がひとりでにとけて露わになるのは、誰かに戀い焦がれられているからだと信じられていたという。牧歌的なそんな戀の祈りの背後に、理屈や規範を超えて働く天地自然への信頼を見てとるべきであろう。



一一二
むかし、男、ねむごろにいひ契れる女の、ことざまになりにければ、
 須磨のあまの塩焼く煙風をいたみ
   思はぬ方にたなびきにけり

【訳】 
昔、男が心を込めて未来を約束していた女が、違う男に情を移してしまったので詠んだ。


 須磨のあまの塩焼く煙風をいたみ
 
  思はぬ方にたなびきにけり
(須磨の海人が、塩を焼く煙は、あまりにも風が激しいので、思ってもいない方向に、流れてしまいました)


一一三
むかし、男、やもめにて居て、
  ながからぬ命のほどに忘るゝは
    いかに短き心なるらむ
 
【訳】 
昔、男が女と別れて独り暮しをしていて、詠んだ歌。



 ながからぬ命のほどに忘るゝは
  
   いかに短き心なるらむ
(そんなに長くもない、一生涯のうちに、忘れてしまうとは、なんと短い、浅はかな心なんだろう)

【解】
別れた女が、さっと自分のことを忘れ去ってしまうことを、男が恨んだのか、それとも死別した女のことをすぐに忘れた自分を嘆いたものなのか。恨み節か反省歌か。



一一四
むかし、仁和の帝、芹川に行幸し給ひける時、いまはさること似げなく思ひけれど、もとつきにける事なれば、大鷹の鷹飼にてさぶらはせ給ひける、摺狩衣の袂に、書きつける。
 翁さび人な咎めそ狩衣
  けふばかりとぞ鶴も鳴くなる
おほやけの御けしきあしかりけり。おのがよはひを思ひけれど、若からぬ人は聞きおひけりとや。

【訳】 
昔、仁和の帝《光孝天皇》が、芹川に行幸なさった時に、男《業平》は、今はそのようなことはもう似つかわしくないと思ったけれど、前にその役に就いていたから、大鷹の鷹飼いとしてお伴をさせなさって、摺狩衣の袂に書きつけた歌。



 翁さび人な咎めそ狩衣
  
  けふばかりとぞ鶴も鳴くなる
(老人のような有様を、皆さんどうぞお咎め下さるな、この狩衣でお伴するのも今日限りであるよと、今日一日の命の鶴も鳴いています)

帝のご機嫌はとても悪かった。男は自らの年齢のことを思って、この歌を詠んだのだけれど、もう若くはない人にとっては自分のことだと思って聞いたのだということだ。

【解】
帝が暗に老人呼ばわりされたようで面白くなかったのは、この歌うたいの巧妙な攻撃である。力で負かすことができない相手に、歌で一矢報いたのだ。両者には、微妙なわだかまりが存在したのであろう。
「狩衣」に書くことは、初段を意識したものか。


一一五
むかし、みちの国にて、男女すみけり。男、「都へいなむ」といふ。この女いと悲しうて、馬のはなむけをだにせむとて、おきのゐて都島といふ所にて酒飲ませてよめる。
 おきのゐて身を焼くよりも悲しきは
   都のしまべの別れなりけり 

【訳】 
昔、奥州で、男と女が住んでいた。男は、「都に帰ろうと思う」と言う。この女はとても悲しくて、せめて送別の会だけでも開こうと思って、「おきのいて都島」という所で、男に別れの酒を飲ませて詠んだ。

 おきのゐて身を焼くよりも悲しきは

   都のしまべの別れなりけり
(真っ赤におこした炭火がくっついて、私の体を焼くよりも悲しいのは
、都島の水辺での別れなのです)

【解】
東下りに組み入れられるべき段であるが、後に加えられたのだろう。
炭火の赤い部分がくっついたものは、火箸で突っついてもなかなか離れない。


一一六
むかし、男、すゞろにみちの国まで惑ひいにけり。京の思ふ人にいひやる。
 浪間より見ゆる小島の浜びさし
  ひさしくなりぬ君に逢ひみで
「なに事も皆よくなりにけり」となむゐひやりける。

【訳】 
昔、男がブラブラと奥州までさ迷いながら行った。京に戀しく思う人の所に詠みおくる。


 浪間より見ゆる小島の浜びさし
  
  ひさしくなりぬ君に逢ひみで
(浪間から見える、小島の浜びさしのように、あなたにお逢いしないで、もう随分と久しくなってしまいました)

「何事も皆好転して、うまくいくようになりました」。そう書き添えて送ったのでした。

【解】
これも、東下りの追加段。
「はまびさし」は浜久木(浜に生える久木・赤目柏に似た木)の誤りとみると、波の間から見える赤っぽい小島から、京にいる戀人を連想したものとなる。



一一七
むかし、帝、住吉に行幸し給ひけり。
 我見てもひさしくなりぬ住吉の
   岸のひめ松いく代へぬらむ
御神現形し給ひて、
 むつまじと君は白浪瑞籬の
  久しき世よりいはひそめてき 

【訳】 
昔、帝が、住吉に行幸をなさった。

 我見てもひさしくなりぬ住吉の
  
   岸のひめ松いく代へぬらむ

(私が前に見てからでも、随分久しくなってしまったよ、この住吉の岸の美しい松は、一体幾代の時を、過ごしてきたのだろうか)

住吉神社のご神体が姿を現して、



 むつまじと君は白浪瑞籬の

  久しき世よりいはひそめてき
(私と天皇家とは仲が良いと、あなたは知らないと思いますが、白波の住吉の神は、ずっと久しい昔の世から、お祝いはじめています)

【解】
広本系統の本では、この後に次のような文が続く。
「この事を聞きて在原の業平、住吉にまうでたるついでによみたりける。
  住吉の岸の姫松人ならば
   いくよかへしと問はましものを
と詠めるに、翁のなりあしきいでゐて、めでて返し
  ころもだにふたつありせばあかはだの
   山にひとつは貸さましものを」
   
         

一一八
むかし、男、久しく音もせで、「わするゝ心もなし。まゐり来む」といへりければ、
  玉葛はふ木あまたになりぬれば
    絶えぬこころのうれしげもなし
    
【訳】 
昔、男が、長い間便りも出さないで、「あなたを忘れる気持ちなどありません。近いうちにお伺いします」と言ってきたので詠んだ。


 玉葛はふ木あまたになりぬれば
  
  絶えぬこころのうれしげもなし
(玉かづらが這いまわる木が沢山にあるように、あなたが通うところが沢山おありなので、戀の想いは絶えないとおっしゃるあなたの心が、私にはちっとも嬉しくありません)



一一九
むかし、女、あだなる男のかたみとて、置きたるものどもを見て、
 かたみこそ今はあだなくこれなくは
  忘れるゝ時もあらまほしきものを

【訳】 
昔、女が、不誠実な男が思い出の形見として、残して置いていった品々を見て詠んだ歌。


かたみこそ今はあだなくこれなくは
  
 忘れるゝ時もあらまほしきものを
(この形見の品々こそ、今はかえって苦しめるのです。これさえなければ、あの人を忘れる時が、あるかも知れないものを)


一二〇
むかし、男、女のまだ世へずと覚えたるが、人の御もとにしのびてもの聞えてのち、ほどへて、
 近江なる筑摩の祭とくせなむ
  つれなき人の鍋のかず見む

【訳】 
昔、男が、まだ男女の経験のないという女性が、実はある人の所にこっそり通って契りを交わしていると噂が立った後、暫くして詠んだ歌。


 近江なる筑摩の祭とくせなむ
  
  つれなき人の鍋のかず見む
(近江にある筑摩神社のお祭りを、はやくしてもらいたいものです。私には素知らぬ顔の、冷たいあなたが被る、鍋の数を見てみたいから)

※【筑摩神社】 滋賀県米原町にある。この祭りでは、里の女が、契りを結んだ男性の数だけ、鍋をかぶって参詣し、その鍋を奉納するという。

【解】
男を知らないとすましている女が、実は沢山の男とこっそり夜を過ごした事がばれてしまうだろう、との趣意。


一二一
むかし、男、梅壺より雨にぬれて人のまかりいづるをみて、
 鴬の花を縫ふてふ笠もがな
  ぬるめる人にきせてかへさむ
かへし、
 鴬の花を縫ふてふ笠はいな
  おもひをつけよ乾してかへさむ
  
【訳】 
むかし、男が、梅壷から雨に濡れて女性が退出するのを見て、歌を贈った。

  鴬の花を縫ふて笠もがな
  
   ぬるめる人にきせてかへさむ
(鶯が梅の花を縫って創るという、花の傘があったなら、雨に濡れている様子のあなたにそれを着せてお返ししようかな) 
  
女の返し歌。

  鴬の花を縫ふてふ笠はいな
  
   おもひをつけよ乾してかへさむ
(鶯が花を縫って創るという花の傘なんていらないわ。あなたの想いの火を点けて下さいな。その火で私の衣を乾かし、今度は私の戀の焔を貴方に返してみせますから}

【解】
女性の返歌がなんとも情熱的。男性ならくらくらしてしまいそうだ。男性もかなりキザだが、情景がじつに綺麗なやり取りである。梅の花が開く庭にしとしと降りしきる春雨を背景にして、この情景を思い浮かべると、それほど不自然ではない。いにしえ人たちの戀の形が、情感とともにくっきり浮かび上がる。人生を愉しんで生きているな〜。



一二二
むかし、男、契れることあやまれる人に、
 山城の井出のたま水手にむせび
  頼みしかひもなき世なりけり
といひやれど、いらへもせず。

【訳】 
昔、男が、結婚の約束を破った女に、

 

山城の井出のたま水手にむせび
  
  頼みしかひもなき世なりけり
(山城にある、井出の玉水《京都府井出町にある清水》を手にすくって、飲んだけれど、頼みにした甲斐もない、二人の仲でした)

と言い送ったが、女は返事もしなかった。



一二三
むかし、男ありけり。深草に住みける女を、やうやうあきがたにや思ひけむ、かゝる歌をよみけり。
 年を経てすみこし里を出でていなば
   いとゞ深草野とやなりなむ
女、かへし、
 野とならば鶉となりて鳴きをらむ
   狩だにやは君はこざらむ
とよめるけるにめでゝ、ゆかむと思ふ心なくなりにけり

【訳】 
昔、男が居た。深草という京の片田舎に住んでいる女と戀仲だったけれど、だんだん飽きてきたのか、こんな歌を書いて送った。

 年を経てすみこし里を出でていなば
  
   いとゞ深草野とやなりなむ
(長い年月住んでいるこの深草の里を俺が出て行ったら、ここはますます「深草」という名前のとおり草が生い茂って野原になってしまうんだろうか。) 

女が返事して、

 野とならば鶉となりて鳴きをらむ
  
   狩だにやは君はこざらむ
(草が生い茂って野原になってしまったら、鶉となって鳴いていることにしましょう〔=あなたがこなくなったら、鶉の姿で泣いていることにしましょう〕、そのなき声を頼りに、狩にだけはあなたが来てくれるでしょうから。」

と詠んだのに感じ入って、深草から出て行こう、なんで思う気持ちはなくなった。



一二四
むかし、男、いかなりけることを思ひける折にかよめる。
  思ふこといはでぞたゞに止みぬべき
    我とひとしき人しなければ
   
【訳】 
昔、男がなにを想ったか定かではないがその折りに、詠んだ歌がある。

 思ふこといはでぞたゞに止みぬべき
   我とひとしき人しなければ
(思っていることは口に出さないでそのままにして、もう終わりにしよう。僕と同じような人間なんて、この世にはいないんだから)

【解】
終焉の前段に置かれたわけだから、一生を振り返っていろいろ語ったけれど、やはり人生は一人旅なのだという思いばかりが募り、自分と全く同じ考えの人などいないのだからもうぼくの話は終わって沈黙しよう、ということにはなる。
だが同時に、人生を達観し、逝去も間近な年齢の詩である。だから、なにかある成熟し極まった感慨を歌ってもいよう。「俺と同じ人間なんていない」という感情を、自分の死の予感といっしょに感じながら詠ったのではないか。
そう思って、次の一二五段をも合わせながら読むと、ある感慨がにじみ出て来る。
「この世の生のあれこればかりか、死の悲しみなんかも口にはすまい。永劫に二人と同じ人間は登場しない。このぼくが生きたという生の事実性の荘厳さ。その凄さが、あれこれ慨嘆や不安の思いなど口にすれば、かき消されてしまうから。渋い自制心で、生の事実のこの唯一比類無さを噛みしめこの世を去ろう。」
そんなことをも歌いあげたのではないかな。



一二五
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
 つひにゆく道とはかねて聞きしかど
   きのふけふとは思はざりしを

【訳】 
昔、男が、病気になって、もう死ぬのだろうと直感したので詠んだ、最後の歌。


 つひにゆく道とはかねて聞きしかど
  
   きのふけふとは思はざりしを
(最後に行く道とは、かねがね聞いてはいたけれど、まさか昨日今日のこととは、思ってもいなかったよ。さようなら)

【解】
八八〇年五月二十八日、業平は、五十六歳で亡くなった。官位は近衛府の中将。
なお、業平逝去の詳細を『大和物語』第百六十五段は、次のように伝えている。

「水尾の帝の御時、左大弁のむすめ、弁の御息所とていますかりけるを、帝御ぐしをおろしたまうてのちひとりいますかりけるを、在中将しのびて通ひけり。中将、病いとおもくしてわづらひけるを、もとの妻どももあり、これはいとしのびてあることなれば、えいきもとぶらひたまはず、しのびしのびになむとぶらひけること日々にありけり。さるに、とはぬ日なむありけるに、病もいとおもりて、その日になりにけり。中将のもとより、
 つれづれといとどの心のわびしきに
   けふはとはずて暮してむとや
とておこせたり。「よはくなりにたり」とて、いといたく泣きさわぎて、返りごとなどもせむとするほどに、「死にけり」と聞きて、いといみじかりけり。死なむとすること、今々となりてよみたりける。
 つひにゆく道とはかねて聞きしかど
   きのふけふとは思はざりしを
とよみてなむ絶えはてける。」